Prunus persica Batsch (バラ科)

 モモはひな祭りとの関わりで3月の花のように思われがちですがこれは旧暦の話で、開花はソメイヨシノよりも2週間ほど後になります。花はどのサクラよりも大型で、色はソメイヨシノよりピンクが濃く、見応えがあります。モモは中国原産で、サクラやウメに比べると実生活で花を見る機会が少ないですが、桃の実が『古事記』に登場することを考えると、古来、特別視されてきた樹種であったと云えます。

 原産地の中国ではモモの栽培は紀元前2,000年以前に遡るとされますが、後漢代の『名医別録』に「実は酸味が強くて多食すると熱を生じる」と書かれており、当初の栽培目的が果実を食するためであったのかどうか疑問です。薬用には傷寒・金匱の時代から「桃仁」が駆瘀血薬として利用されてきましたが、当時ただ桃仁を得るためだけに栽培されたと考えるのも困難です。やはり、古来、邪気を祓い不老長寿を得る仙果とされたことから、厄除けとして庭の一角に植栽されたと考えるのが適切なように思われます。薬用の桃仁は野生品から採取されていたのでしょう。なお、宋代の『図経本草』には接木して栽培する方法が書かれていますから、10世紀頃には品種改良されて果肉の食用を目的に栽培されていたことは間違いなさそうです。

 日本における各地遺跡の本格的な発掘調査は20世紀に入ってから始まり、最近になって古代遺跡から次々と桃核が発掘されるようになり、今では縄文後期の遺跡からも発見され、このころから既に大陸との交流でモモが移入されていたことが明らかになっています。最近では2010年に奈良県の纏向遺跡の3世紀中頃の穴から2,000個を超える桃核が一部果肉がついた状態で出土した記事が記憶に新しく、祭祀用であったと考えられています。また、別の遺跡では井戸底や洗い場などから纏まって発見されており、やはり厄除け(水の浄化)が目的であったと考えられているなど、食用よりは呪術的な利用であったようです。また、一度に多数が出土した桃核の大きさを測定した結果、変異は連続し小さく未熟な果実も混じっていたとする報告があり、このことからも食用ではなく呪術的な利用であったことが裏付けられそうです。こうした発掘調査が進む以前は、モモは中国原産なので『古事記』に登場する桃はヤマモモ科のヤマモモではなかったかとする説もありましたが、最近の遺跡調査結果により決着がついたようです。

 ちなみに、昔話の絵本に出てくるモモの実や故宮博物院に収蔵される古い時代の壺に描かれたモモの実は先端が尖っていますが、最近の店先に並んでいるものは皆先端が窪んでいます。実は、先が尖ったモモは、河南省や陝西省で栽培されてきた華北系の品種で、果肉が硬くて貯蔵性に富む品種です。一方、現在日本で口にするモモは明治8年に移入された華中系の上海水蜜桃系で、これをもとに育成された水分が多くて美味ですが柔らかくて保存性が悪い白桃系の品種なのです。ともあれ、絵に描かれてきたモモが華北系であったということは、古来邪気を祓い不老長寿薬とされてきたモモは華北系であったということでしょうか。元より華北系が古く、華中系は華北系から生まれたと考えられていますが、その経緯に関しては不明だそうです。なお、今でも中国に行くと店頭で先が尖ったモモを見ることができますから、食用として全く入れ替わってしまったわけではなさそうです。

 モモは中国原産とされますが、実は日本各地に野生状態のモモが見つかっています。これらが真に野生品なのか、あるいは古代に渡来したものの生き残りなのか、解決するためには更なる遺跡調査が必要とされるなど、ロマンを感じさせる花木でもあります。

 古典によれば花は心腹痛をはじめとする百病に効果があるとされ、薬用には3月3日に採集することになっています。今年は4月22日が旧暦のその日です。本誌が届く頃には全国のどこかで満開を迎えていることでしょう。サクラで心が晴れやかになったあとは、モモの花を愛でつつ縄文時代に思いを馳せてはいかがでしょうか。

(神農子 記)