蘭(ラン)といえば高級品というイメージがあります。特に胡蝶蘭はお祝い事の贈答品として好まれ、日頃目にする機会も多い園芸植物です。ラン科植物はその花や姿形からは、例えばヨシやススキなどのイネ花植物との共通性などは思いも及びませんが、植物分類学的には同じ単子葉類に含まれます。ラン科は単子葉類の中では最も進化した一群とされ、現在も進化を続けています。奇抜で美しい花や葉の姿形や花の香りから、古来、園芸植物としても愛でられ、多くの愛好家を育んできました。今回の話題はラン科(Orchidaceae)の薬用植物です。
ラン科植物は現在の地球上で最も繁栄しているグループでたいへん種類が多いのですが、薬用植物としての利用は多くはなく、日常における馴染みもありません。『日本薬局方』には唯一「天麻」が収載されています。第十八局には「本品はオニノヤガラGastrodia elata Blume (Orchidaceae)の塊根を、湯通し又は蒸したものである。」とあります。教科書的には鎮静、鎮痛、強壮薬などとされますが、一般には眩暈(めまい)に対する薬物としてよく知られています。これは風が吹いても茎が揺れないことに由来するのだとする説があります。オニノヤガラはラン科の中でも特異な植物で、地下でナラタケ菌と共生することで自身で光合成をする必要がなくなり、葉緑素をなくして葉も退化してしまい、高さ1mにもなる茎が一本の棒のようになり、葉がないために風が吹いても受ける部分がなくて揺れないのです。古人はこんな様子をも観察していたようです。野生品は希少で高貴薬として扱われますが、近年は圃場で先ずナラタケ菌を育ててから種子を蒔くことにより栽培に成功し、多く栽培品も出回っています。圃場の地中で大きく育った塊根を茎が出る前に採集して出荷しますので、栽培品には茎の残部がなく、野生品との区別点とされます。天麻配合の漢方薬としては眩暈や頭痛に用いられる半夏白朮天麻湯がよく知られています。
中国の生薬市場で高貴薬として取り引きされるもう一つのラン科植物由来の生薬に「石斛」があります。園芸店でデンドロビウムDendrobiumと呼ばれる仲間で、やはり進化の途上にある一群で、世界に1000種類以上の原種があるとされます。日本には暖地の大木や岩の上にセッコクD. moniliforme Sw. が野生しています。薬用には小型種から大型種まで利用されますが、高級品とされるのは茎が細長い小型種のホンセッコクD. officinale Kimura & Migoなどで、茎を巻いて丸く調製して「金耳環」や「金鎖石斛」の名称で市販されています。黄金色をしていることから五行説では脾に帰経すると考えられ、人参と同様の強壮薬として珍重されています。薬膳にも利用されますが、茎は硬く加熱しても食用にはなりません。
ラン科の日本民間薬としては、エビネCalanthe discolor Lidl. が婦人の血の道症に、またツチアケビCyrtosia septentrionalis Garayの果実が強壮剤として用いられてきた歴史がありますが、共に現代では市場性はほぼ無くなっているようです。エビネの仲間は日本に数種類があり、園芸植物として多くの愛好家がいます。一方のツチアケビは高さ50cm以上になる大型の植物で、葉緑素を持たない腐生植物です。林下の日陰に生え、秋に薬用部位となる長さ10cmほどのアケビに似た果実が真っ赤に熟して目立ちます。
また、台湾では日本でも普通に見られるネジバナSpiranthes sinensis Ames var. amoena H.Haraの基準変種とされるナンゴクネジバナvar. sinensisが強壮薬として、一般に薬用酒として利用されています。ネジバナは都市部でも芝地などにごく普通に見られるラン科植物で、小さな花がねじれた花軸に咲く姿は鑑賞価値がありますが、継続して栽培するのは難しく、野生でも個体の寿命が短いことが知られています。ラン科植物の種子は一般に極めて小さく、ネジバナも多数の種子を放出することで絶え間なく世代交代を行なっているようです。
ラン科植物は園芸植物としての価値が高い種類が多く、野生種が乱獲されてきたため、各地で絶滅危惧種としてレッドデータブックに掲載されています。ラン科に限ったことではありませんが、有用な薬用植物が乱獲され絶滅することは、ヒトを含めた自然界の進化を遮る意味でもあってはならないことです。