基源:キク科(Compositae)のフジバカマEupatorium japonicum Thunb.(= E. fortunei Turcz.)の葉あるいは全草。

 春の七草は若菜摘みや七草粥などをキーワードに山菜として知られますが、これからの季節は優雅な花を愛でる秋の七草が主役です。その一つフジバカマは『源氏物語』や『徒然草』にも登場することで一般にも良く知られています。かつてはごく身近な植物だったのですが、現在では準絶滅危惧種に指定されるほどその個体数は減っています。元々は中国原産で、おそらく薬用あるいは香料として導入されたと考えられる帰化植物です。関連書物などでは、環境の変化により減少したとされますが、一般に帰化植物は帰化当初は爆発的に増えますがやがて消えていく運命にあり、フジバカマも同様の歴史を辿っているものと考えられます。そう言えば、蒼耳子の原植物で以前はごく普通に見られたオナモミも、最近では珍しい植物になってしまっています。

 さて、フジバカマは中国では「蘭草」と称されています。古来原植物に問題はないようで、薬用としては『神農本草経』の上品に収載され、「水道を利し、蠱毒を殺し、不詳を避ける。(中略)神明に通じ、一名水香」とあり、香りによって悪いものを避けてきたことが窺えます。李時珍は前漢時代のことを記した『西京雑記』を引いて「漢の時代、池苑に蘭を植えて神を降ろした。或いは粉にして衣服や書籍の中に入れておけば蠹(と:書籍や衣類につく虫)を避ける」と記しており、『神農本草経』の記載に通じるところがあります。香袋に入れてお守りの様に身に付けたりもしていたようです。この様な需要から、中国では古くから庭先で栽培していたと多くの書物が記載しています。

 フジバカマは新鮮な状態では香りませんが、刈り取って少し乾かすと甘い香りが立ってきます。香りの主成分はクマリンですから、桜餅に似た香りです。この香りが平安時代にも好まれたようで、香りを湯に溶かして優雅に沐浴したり髪を洗ったりしました。現代中医学では祛暑薬として、湿により脾胃が犯された結果生じる、胸苦しさ、口の粘り、食欲不振、悪心、嘔吐、全身倦怠感などの改善に他薬と配合して使用されています。また、日本民間薬としては、根を煎じて月経不順に、また葉や茎の煎液を喉の渇きに利用してきました。

 ところで、中国では蘭草は良い香りがする植物の代表で、古来「蘭」と言えばフジバカマでしたが、時代が降るにつれて良い香りがする今でいう東洋ランも蘭と呼ばれるようになったようです。北宋時代に書かれた『本草衍義』に「蘭草は諸家の説に異同がある。中でも多く陰地や幽谷に生えるものは葉が麦門冬の様で幅広く、常緑で、春に芳しいものは春蘭で色が深く、秋に芳しいものは秋蘭で色が薄い。秋蘭の方がやや得難いが、ともに小さな鉢に移植して座右に置いておくと、花が咲いたときには部屋中に香りが充満し、他の花の香とは又別のものだ(以上、節録)」とあり、この頃にはラン科植物と入れ替わりつつあったことが窺えます。

 フジバカマはまた、蝶のアサギマダラの食草としても知られています。アサギマダラは渡りをする大型の蝶で、羽根に印をつけて群馬県で放たれた個体が、海を渡って鹿児島県の喜界島で確認された事実は人々を驚かせました。もちろんアサギマダラはフジバカマが日本にもたらされる以前から生息していたわけで、いずれフジバカマが日本から無くなったとしても、同属のヒヨドリバナや他科の植物をも食草するので蝶の生息には問題ないでしょう。平安時代のアサギマダラにとっても、フジバカマは新しい食草であったわけです。とは言え、1000km以上を移動する体力と食草としてのフジバカマとの関係を知りたいものです。自然界にはまだまだ私たちが気づいていない現象が隠されていると思うと、長い時間をかけて変化する悠久の歴史にロマンを感じるとともに、人体の健康問題をも含め、さらに自然から学ぶ目を養う必要があることを痛感します。

(神農子 記)