基源:キク科(Compositae)のタカサブロウEclipta thermalis Bungeの地上部を乾燥したもの。

 田畑の雑草の一種にタカサブロウがあります。田植えが始まる初夏の頃に発芽を始め、わずか1〜2ヶ月で開花結実し、黒ごまのような長さ約3 mmの痩果が地面に落ちて越冬することを繰り返します。田畑の雑草としてはあまり目立つ植物ではありませんが、薬用植物として古来止血薬として重用されてきました。和名の「タカサブロウ」は、植物名というよりも人名のように聞こえますが、その語源に関して『植物和名語源新考』に「ただれをタタラビと呼ぶことから、ただれ目治療用のタタラビソウが転じたのではないか」と考察されています。実際、日本では民間療法で結膜炎に利用されてきたほか、おひたしとして食されたりもしてきました。特に、徳川家光が好んで食べていたそうです。

 旱蓮草は唐代の『新修本草』に原名「鱧腸」(れいちょう)として収載され、宋代の『図経本草』では俗名を「旱蓮草」と言うと記載されています。明代の李時珍は「鱧とは烏魚のことで、この魚はその腸も黒い。この草は茎が柔らかく、切断すると墨のような汁がでることからこの名が付けられた。俗に墨菜と呼ぶのはこの草のことである。小さな頭状花が頗る蓮房に似ているところから、蓮の名を付けて呼ばれるのだ」としています。市場では別名を墨旱蓮、墨草、墨斗草、墨汁旱蓮草などと称しており、共通して「墨」の字がついていることは、他の植物にはない黒い汁の強い印象があるからでしょう。

 旱蓮草の異物同名品としてオトギリソウ科のトモエソウHypericum ascyron L.(湖南連翹)があり、浙江、江蘇、上海地区などで「紅旱蓮」と称されています。この混乱について宋の蘇頌は「鱧腸は即ち蓮子草である。旧くは産出する州郡は記されていないが、下湿の地に生じるとある。今は処々にあるが、南方にもっとも多い。この草には二種あって、一種は葉が柳に似て光沢があり、茎は馬歯莧に似て高さ一、二尺許りあり、花は細かく白く、実は小さい蓮房のようだ。蘇敬の云う「地上部は旋復に似たもの」とはこのものだ。今一種は苗梗が枯痩し、頗る蓮花に似て黄色である。実も亦房になって円い。南方地方で之を連翹という。二種共にその苗、実を摘むと皆汁を出し、須臾して黒くなる。故に髭髪を烏くする。薬用にするときには俗に旱蓮子という。三月、八月に採取し、陰乾する。」と解説し、この異物同名品は古い時代から存在していたようです。

 タカサブロウは高さ30〜60cm、茎は柔弱で直立もしくはほふくし、多くの毛に覆われています。葉は対生で無柄に近く、線状矩円形〜披針形で、基部は楔形で先端は微突か鈍形、全縁かわずかに歯形。葉の両面とも白色の粗毛に覆われています。頭花は総苞に包まれた多数の小花で構成されており、舌状花は白色で筒状花は花粉が放出されると黄色っぽくなります。内側の小花は両性花で、確実に受精して子孫を確保することが実験的に確かめられています。現在では第二次世界大戦以降に帰化したアメリカタカサブロウEclipta alba (L.) Hassk.が急速に分布を拡大し、しばしばタカサブロウと混生しています。

 タカサブロウの茎を折ると特徴的に断面が黒くなるのは、茎に含まれるWedelolactoneが酵素によって酸化されるためであることが明らかにされており、搾り汁は黒色染料や毛染めに使われたこともあるようです。また、薬草としては清熱涼血、止血薬として吐血、喀血、血尿、下血、性器出血、若白毛、淋病、帯下、陰部湿疹などに応用されてきました。中国医学では、髭や髪の白い者は血熱であり、歯の固定しない者は腎虚で有熱であることから、血を涼め血を益せば髭や髪が黒くなり、歯もこれによって固定すると考えられています。五行説では黒は腎経に入る色であることから、このような効能が導き出されたのでしょうか。なお、アーユルヴェーダでもアメリカタカサブロウの全草をBhringarajaの名称で、中国医学と同様に髪を黒くし、また止血作用があるとし、薬用オイルなどとして利用されていることは実に興味深いことです。

(神農子 記)