基源:シカ科 (Cervidae) のCervis nippon Temminck、 Cervis elaphus L.、 Cervis canadensis Erxlebenまたはその他同属動物の雄鹿の角化していない幼角。
中国で高貴薬また高級食材として人参に並ぶものに鹿茸があります。人参に比して鹿茸は日本ではあまり使用されない生薬ですが、中国や韓国ではそれぞれの1字を並べた「参茸〇〇」という滋養強壮薬や高貴薬店の看板をよく見かけます。鹿茸の薬効として、2世紀頃の成立とされる『神農本草経』には「気を益し、志を強くし、歯を生じ、老いず」とあり、宋代の『日華子諸家本草』には「男子の腰腎の虚冷、脚膝の無力を補う」、さらに明代の『本草綱目』に「精を生じ髄を補う、血を養い陽を益す、筋骨を強め健やかにし、いっさいの虚損、耳聾、目暗、めまい、虚痢を治す」と記されたように、古来優れた精力増強、滋養強壮剤として知られています。いずれもシカは精力が強いと信じられていたことと関連するようです。鹿茸以外にも鹿歯、鹿骨、鹿頭肉、鹿蹄肉、鹿脂、鹿血、鹿筋など、シカの様々な部位が薬用や食用に供されてきました。
鹿茸の採取は生後三年目の雄のシカから始められます。毎年5月中旬〜7月上旬頃にノコギリで若い角を切る方法が一般的で、切り落とした角は内部に血液を多く含んでおり、数回熱湯につけるなどして血液を除去した後に乾燥します。この角を鋸茸(きょじょう)と言います。ノコギリで切る方法以外に、頭蓋骨を付けたまま切り取る方法があり、これを砍茸(かんじょう)と呼び高級品とされます。鋸茸は毎年1〜2回同じ個体から採集できるのに対して、砍茸は1個体につき1度きりですから大変高価に取り引きされます。狩猟で得たシカではなく、飼育した個体から採集するようになった現在ではほとんど作られていないようです。
鹿茸は角の形により品質が異なっていて、若い時期の小さくて側枝が少ないものが良品とされ、また同じ角でも先端部が最良品とされています。鹿茸を使用する際は、一般的には鹿茸片というスライス状にしたものが利用されます。表面の毛を焼き焦がして削り取った後に布で巻き、熱い酒をしみこませて柔らかくし、スライス状にして乾燥させて仕上げます。このような鹿茸は、中国産以外にもロシア産などもあるようです。高級品でかつ資源的に限りがあるため、古来偽品や類似品が多く出回ってきました。当然、Cervis属以外のシカの仲間の角も偽品として出回りますが、原型なら形で判断できますがスライス品では鑑別困難です。以前、膠を使用して巧妙に作られた鹿茸片を入手したことがあります。このものは湯につけると溶けてしまい、容易に鑑別できました。
そうした中、最近、鹿茸の原動物の鑑別に有効な試験法が発表されました(生薬学雑誌、 75、 63-75、 2021)。日本に輸入される鹿茸の中にシカ科のトナカイ Rangifer tarandus L. 由来のものが混入していたようです。トナカイの幼角は「馴鹿(じゅんろく)」と言う別生薬で、食用や中薬とされます。報告では鹿茸に残存する血液の化学的反応、波長が異なる励起光を連続照射することにより得られる蛍光指紋の比較、表面に残る動物種により異なる保護毛の気室の内部形態的観察などにより、原動物の種類や角の老若が判断できるとしています。
さて、話題は変わりますが、近年の日本では森林における鳥獣被害が大きな問題になっています。林野庁によると令和2年度の森林被害面積は約6,000ヘクタールで、そのうちシカによる食害が全体の約7割を占めるそうです。シカは一般植物のほか樹木の枝葉や樹皮を食害し、被害地では林床が裸地になったり、植林した苗木や若木の樹皮が食べられて枯死したりして、深刻な状况となっています。環境省資料によると、シカは繁殖力が強く、捕獲しないと年率約20%の割合で増加することから4〜5年で個体数が倍増するそうです。この繁殖力の強さにあやかろうとしたのが鹿茸の薬用利用に他なりません。
最近では森林保護を目的に、シカの捕獲に多額の補助金を出したりまたジビエとしての利用の促進を図ったりしていますが、薬用利用についての計画はまだなさそうです。初夏に捕獲して高級な砍茸を製造して輸出することができれば、さらなる価値が生まれるように思います。原動物として最初に掲載したCervis nipponは、まさにその捕獲対象のニホンジカです。