基源:ショウガ科 (Zingiberaceae) のミョウガZingiber mioga Roscoe の根茎。

 秋を代表する薬味の一つにミョウガがあります。ミョウガは夏バテによる食欲不振や胃もたれに良いとされ,刻んで生のままお吸い物に入れたり梅酢に漬けたりするなど様々な食べ方があります。この食用するミョウガはショウガ科のミョウガという植物の開花直前の花穂(花序)の部分です。またミョウガは花穂のみならず,若い茎(正確には葉鞘の付け根,偽茎)はミョウガタケと称して同様に薬味として利用されます。ミョウガタケは若芽ですから春先が旬です。このように現在,ミョウガは花穂や葉鞘を食用目的で利用していますが,根茎は利用されていません。今回取り上げる生薬「襄荷」はミョウガの根茎に由来するもので,後漢の頃に中国でまとめられたとされる『名医別録』に収載されています。

 

 薬用としてのミョウガは『名医別録』に根茎に由来する「白襄荷」と葉に由来する「襄草」が収載されました。しかし「襄草」は有名未用品として唐代の『新修本草』で除外され,明代の『本草綱目(1596年)』では「襄荷」の項目に編入されています。当時の「襄草」が現在のミョウガタケに相当する葉鞘なのか,それとも葉身なのかは不明ですが,いずれにしても次第に使用されなくなったようです。陶弘景は「人々は赤いものを襄荷といい,白いものを覆菹といっている。蓋し食うには赤いものがよく,薬に入れるには白いものを良しとする。葉は同一種のものだ」と記載しています。また,宋代の『図経本草(1062年)』にも「赤,白の二種あって,白いものは薬に入れ,赤いものは食用し,また梅果(梅酢の漬物)を作るに多く用いる」とあります。赤いものと白いものの違いは不明ですが,おそらく赤いものは花穂で,当時から食用にされていたものと想像できます。実際,『本草綱目(1596年)』の文章には,崔豹の『古今注』を引用して「花は根の中に生える。花がまだ腐らぬうちに食うがよい」とありますから,この頃には花穂を食べていたことがわかります。

 日本では905〜927年に成立したとされる『延喜式』に襄荷の栽培方法が記載されており,この頃には既に広く普及していたようです。ミョウガは元来日本に自生していたのか中国大陸から導入されたのかは不明のようですが,現在も温暖な地域を中心に各地に生育しています。

 茎は高さ60〜90センチ,狭楕円状披針形の葉を互生しています。葉身の元は葉鞘を形成し,向かい合う葉の葉鞘を包み込み合う形で偽茎を形成します。花穂は8〜10月頃に根茎から直接出て,約10センチ程度です。鱗片を覆瓦状に配列し,その内側から淡黄色の花が次々と出て開き1日でしぼみます。私達が食べているのはこの花穂の部分で,蕾が出る直前の状態です。

 ミョウガはショウガと同属で近縁な植物ですが,ショウガと異なり根茎の食用価値はあまりなかったようです。根茎の薬用方法として『雷公炮炙論(420-479年)』には「白襄荷を銅刀で粗皮を刮り去り,細かく切って砂盆に入れ,膏のように研いで自然汁を取り,練って煎にし,新しい器にのして冷やし,乾いた膠のような状態にして,刮り取って使用する」という加工法が紹介されています。薬効は一般に血を活かし経を調える,鎮咳し去痰する,腫れを消し解毒する,などの効能があるとされており,月経不順,老年咳嗽,瘡腫,瘰癧,目赤,喉痺を治すとされています。使用方法も独特なものがあり,例えば「イネやムギの実のトゲが目に入ったとき,その汁を目に注ぐ」,「喉痺には乾燥させ粉末にしたものを水で服用する」,「赤眼渋痛には,叩き潰した汁を1適ずつたらす」などがあります。このような手間のかかる加工方法や独特な使用方法から,薬用として使用する頻度も減っていったのかもしれません。

 ちなみに「襄荷」をミョウガと読ませている場合もありますが,これについては複数の説があり確たる由来は不明です。江戸時代後期の国語辞書である『倭訓栞』には「めうが」について「芽香の義なるべし。襄荷の字音にあらじ」との記載があり,個人的にはこの説がもっともそれらしいと感じています。今秋,ミョウガをいただく際には根にも思いを馳せたいと思います。

(神農子 記)