基源:ミカン科 (Rutaceae) のキハダPhellodendron amurense Rupr. の周皮を除いた樹皮。

 7月中旬に石川県内で,いわゆる“キハダの皮むき体験”に参加してきました。連日のように雨が続く梅雨の最中でしたが,この日は幸運にも晴れ間となりました。砂利道を車で進んだ後,さらに徒歩で20分ほど歩いた場所が会場でした。林業関係の方が,樹高10メートル,樹径30センチ余りのキハダを事前に見つけておいてくれました。チェーンソーでの伐採は1分もかかりませんでした。倒れる方向もその後の皮むき作業がやりやすくなるよう考慮されていました。枝葉を落とした後,主軸の丸太を長さ40センチ程度毎に切断して,それぞれ縦に1筋の溝を付けました。この溝を取っ掛かりに樹皮を剥がしていきます。まず,鬼皮と呼ばれる周皮を剥がします。数ミリの厚さの周皮は切った時点で既に剥がれかかっていて,この端をつまむとペリペリと剥がれていきます。道具も必要なく,シールのようにきれいに一周,気持ちよく剥がれていきました。この時点で丸太は全面,鮮やかな黄色の肌になります。キハダとはよく名付けたものです。薬用部位となる残った厚さ5〜10ミリほどの黄色の樹皮は,心材との間で剥がれやすくなっています。これはこの時期に盛んに細胞分裂している形成層で剥がれやすくなっているためです。周皮のように簡単ではありませんが,少しずつ隙間を広げていきながら剥がしていきます。この日はくさび状にカットした枝を挿入したり,指先を押し込んだりすることで剥がすことができました。樹皮の粘液質によるヌルヌルも剥がす作業に優位に働きます。きれいに剥がれた樹皮は,特にその内側は太陽の光にあたると眩しいくらいの鮮やかな黄色です。この一連の作業を終えた直後,突然の雨が降り出し,この日の体験作業を終えました。

 今回はきれいに皮むきを終えた“キハダの皮むき体験”の紹介でしたが,実際はその季節の天候に大きく左右されます。例えば炎天下が続いたり,樹木を伐採して日数が経ったりすると乾燥により剥がれにくくなります。これまでにも同じ体験を場所や時期を同じくして何回も実施してきましたが,過去には周皮が剥がれにくく,カッターで少しずつ時間をかけて剥がした時もあり,また大工道具のバールで無理に剥がした経験もありました。このようにキハダの皮むきは条件が合致する時としない時で作業効率が大きく変わることを改めて感じました。

 黄柏は黄連解毒湯,七物降下湯などに配合される重要漢方生薬の1つです。しかし古代中国の『神農本草経』には黄柏ではなく「蘗木」の名で収載され,樹皮を使用することは記載されていません。宋代になると『図経本草(1062)』に「樹の高さ数丈,葉は呉茱萸に似て,また紫椿(著者注:センダン科チャンチンの仲間と思われる)のよう,冬を経て凋まず,皮は外が白くして裏が深黄色である」と原植物の詳細な記述がありますから,常緑樹であるような記載を除けば,現在のキハダであることは間違いないでしょう。実際にキハダの樹木を手にした場合,黄色で剥がれやすい樹皮を利用することは容易に想像がつきます。事実,3世紀頃の『傷寒論』には,梔子蘗皮湯として「黄蘗」の皮が使用されています。一方で,日本の『用薬須知』(1726)や『重訂本草綱目啓蒙』(1803)にはキハダの果実の記載があり,それぞれ「労瘵(著者注:肺病や気鬱などの神経症)の熱を除くに妙なり。形は胡椒や朝鮮五味子に似ている」,「形は北五味子の如く(中略)殺虫薬とする」と記されています。

 キハダは収穫時期を迎えるまでにかなりの年月を要します。このように年数をかけて利用する資源は計画的な利用を考えないといけません。今回の“キハダの皮むき体験”では厳しい環境で長年生き延びたキハダが短時間で切り倒されて,数時間で薬用部位が採取されました。身ぐるみ剥がされた心材が転がっている風景をみて,改めて資源の貴重さを感じ,資源活用の必要性を考える切っ掛けになりました。また,キハダは雌雄異株ですから,キハダの果実は資源的に決して豊富とは言えません。しかし,少しでも有効利用を考えるなら,我が国の本草書に記載されているように,今後は果実の利用も考えるべきかと思いました。因みに,アイヌ民族は食用としても利用してきたそうです。

(神農子 記)