基源:イチヤクソウ科(Pyrolaceae)のチョウセンイチヤクソウPyrola rotundifolia L.、P. rotundifolia subsp. chinensis H. Andres、イチヤクソウP. japonica Klenze ex Alef.などの全草を乾燥したもの。

 近年日本では民間薬を利用する機会がめっきりと少なくなり、市場での流通も減っています。日本民間薬にはドクダミ、ゲンノショウコ、オオバコなど多数がありますが、その大半は中国からの影響で、特に明代に李時珍が著した『本草綱目』の影響が強く認められます。『本草綱目』には民間療法も多く掲載され、出版後間もなく日本に持ち込まれ、増刷されて各地に広まりました。

 そうした民間薬の中に「一薬草」があります。原植物はイチヤクソウで、薬名がそのまま和名になった一例です。一つの薬草で様々な病に効くことに由来すると伝わっています。『本草綱目』には「鹿蹄草」の名称で掲載されています。

 鹿蹄草は『本草綱目』の草部に収載され、「鹿蹄草というは葉の形を形容したものだ。よく金瘡を合わせるものだから試剣草と名づけたのだ。また山慈姑にも鹿蹄なる名称があるがこれとは異なる」とその名の由来を説明しています。また『本草綱目』によると『軒轅述宝蔵論』に初めて収載され、「鹿蹄は江広地方の平陸及び寺院の荒地に多く生じる。淮北地方には絶えて少ない。川、陝にもある。苗は菫菜に似て葉が頗大きく、背面は紫だ。春紫の花を開き、天茄子のような青い実を結ぶ。」と記されています。『本草綱目』の付図および清代の『植物名実図考』の鹿蹄草の図などからナス科植物のように思われますが、現在の『中国薬用植物誌』では鹿蹄草にイチヤクソウ科のチョウセンイチヤクソウPyrola rotundifolia L.を充てており、一方『中葯志』では鹿銜草(ろくかんそう)の原植物としてチョウセンイチヤクソウを記載し、共に金瘡出血や蛇、犬、虫、などによる咬傷の解毒薬としています。鹿銜草は『植物名実図考』に鹿蹄草とは別項で収載され、その付図は明らかにPyrola属と思われるなど、鹿蹄草と鹿銜草の間に混乱が認められます。我が国では、林羅山が『本草綱目』収載の品々に和名をあてた『多識編』に「鹿蹄草、今案加乃豆米久佐(かのつめくさ)」とあるのが最初で、その後小野蘭山がイチヤクソウを充てて以来通説となっています。

 日本では「一薬草」は民間的に打撲傷、切り傷、蛇咬傷などに生葉の絞り汁を付けたり、肺結核や膀胱尿道炎に単味で用いられてきました。まさに『本草綱目』の影響だと考えられますが、かつての日本市場にはイチヤクソウ以外に異物同名品として形態の類似からイワウチワ科のShortia属植物に由来するものも市販されていました。なお、現代中国では「鹿蹄草」は利湿、強壮、鎮痛、鎮静、止血薬としてリウマチ、関節炎などの疼痛、驚悸不寧、足膝の無力などに応用されています。

 原植物のイチヤクソウは分類学的には、これまでのエングラー体系ではイチヤクソウ科に属していますが、クロンキスト体系ではシャクジョウソウ科と意見が分かれ、また最近のAPG体系ではツツジ科に組み入れられました。樹林下に生える常緑の多年草で、葉は卵円形で先端は円く、全縁あるいはまばらに細かい鋸歯があり、基部は楔形あるいはやや円みを帯び、革質です。夏に花茎を出して上端にかわいい白色の5弁花をつけます。

 イチヤクソウはまた共生する菌根菌をもつことも特徴的です。地球上のほとんどの植物は菌類と共生しており、光合成によって生産した炭素を菌類に分け与え、代わりに窒素やリンをもらっています。葉緑素を持つイチヤクソウは光合成を行えますが、菌類への従属栄養性も示すことから部分的菌従属栄養植物と呼ばれています。一方、里山などで見かけるイチヤクソウと同科のギンリョウソウは全体が半透明な白色で別名ユウレイタケとも呼ばれ、葉緑素を持たないため光合成ができず、栄養を菌類に依存した菌従属栄養植物です。単独で生きていくことができない場合は、助け合うことによって生きていく。植物界に起こった素晴らしい進化だと思います。現在多くの我慢を強いられていますが、人間もひとりで乗り越えるのではなく、助け合うという素晴らしい方策でもってこの苦難を乗り越えたいものです。

(神農子 記)