基源:トクサ科(Equisetaceae)のトクサEquisetum hyemale L.の全草を乾燥したもの。

 シダ植物門トクサ綱トクサ目に属するトクサ科はトクサ属だけからなる分類群で、オーストラリアとニュージーランドを除く世界各国に15種あり、日本には9種が自生しています。湿地、湖畔、河岸砂丘などの湿った場所に生育しており、しばしば大きな群落を作り、また園芸植物としても花材としての利用や庭園に植えられるなど身近な植物です。属名のEquisetumは「馬の毛」を意味しており、スギナやトクサは英語ではホーステイル(Horsetail)とも呼ばれています。古代ギリシャの植物学者ディオスコリデスがミズドクサの水中にある茎に生じる黒い根にちなんでつけた名に由来します。トクサの仲間は古くから薬用としても利用されてきましたが、古来麻黄との混乱が見られる薬物です。

 「木賊」の名は『嘉祐本草』に初見され、「目疾に用いて翳膜を退け、積塊を消し、肝、膽を益し、腸風を療じ、痢を止め、また婦人の水月が断えぬもの、崩中赤白を止める」薬物とされています。掌禹錫は『嘉祐補註本草』の中で「木賊は秦、隴、華、成諸郡の水に近い土地に出る。苗は長さ一尺ばかり、叢生するものだ。毎根一幹で花も葉もなく、一寸位ずつに節があって色は青い。冬を凌いで凋まない。四月に採取する」といっており、トクサの形状を記したものと考えられます。また名義については明代の李時珍が「この草は節があって表面が糙澀である。木骨の細工に用い、木を磋き擦れば粗い理が取れて滑らかになる。それ故木の賊というわけだ」と述べています。前漢時代の馬王堆漢墓の埋蔵品の中から「木賊」が見つかっており、古くから薬用とされていたことが推察されます。

 一方、麻黄との混乱も見られ、李時珍は「木賊は中空で節があり、麻黄の茎と似ている。形を同じくし性も麻黄と同じものだ。故にやはり能く汗を発し、肌を解し、火鬱、風湿を升散し、眼目の諸血疾を治す」と述べており、明代には麻黄と混用されていた記載が見られます。「木賊」と「麻黄」の原植物の混乱に関しては『薬史学雑誌』(41(1)、 9-17、 2006)に詳細な報告があります。それによりますと、麻黄に関する記載の中に「木賊に似ている」とする内容はないが、宋代の『図経本草』に「雄は花がない」との記載がある。マオウ属植物は雌雄異株であり雌花はあまり目立たないが雄花は黄色で目立つことから、この記文は花が咲かないトクサ属植物を指していた可能性が考えられる。また、マオウ属植物の茎には髄があり中実であるのに対して、清代の本草書には「中空である」との記載が多く見られる。同時期の「木賊」の原植物の特徴として「中空」が頻出することからも明らかにトクサ属植物を記したものと判断される。『本草匯箋』には「麻黄は中空で細い枝が繁る」との記載から麻黄との混乱はトクサではなくイヌドクサEquisetum ramosissimum Desf.であったと考えられ、李時珍の「茎が麻黄に似ている」との記載も茎が太いトクサではなく、細いイヌドクサの方が合致する。また江戸時代の『本草綱目啓蒙』には「舶来の麻黄中にイヌドクサが多く混ざっている」との記載もあり、中国では明代から清代にかけて「麻黄」と「木賊」の原植物の混乱があったため、日本に輸入された麻黄にもイヌドクサが混入していたようです。

 トクサは高さ1メートルにもなる植物で、暗緑色の地上茎は分枝せず直立します。茎の先端に楕円体の胞子嚢穂がつきます。トクサ属植物の茎は表面にある無水ケイ酸のせいでざらついており、トクサではそれが顕著で以前は研磨材として用いられたため「砥草」の和名がついたとされています。イヌドクサはトクサに似ていますが、やや小型で茎が細く節に枝を生じます。

 木賊の含有成分としてパルストリン、ジメチルスルフォンの他、多数のトリテルペンやフラボノイドなどが報告されていますが、もちろん麻黄に含まれるようなエフェドリンなどのアルカロイドは含有されていません。なお、李時珍が記しているように麻黄と同じ効能があるのかどうかに関する研究はないようです。両者は植物学的に余りにも異なる植物ですから検討の余地はなさそうですが、麻黄の資源問題やエフェドリンのドーピング問題などを考えるとき、李時珍の一文がふと頭をよぎります。

(神農子 記)