基源:ナデシコ科(Caryophyllaceae)のドウカンソウ Vaccaria segetalis Garcke (= V. pyramidata Medik.) の種子、あるいは同科のヒメケフシグロSilene aprica Turcz. ex Fisch. et C.A.Mey. の全草。

 生薬には多少の異物同名品があるものですが、今回のテーマの王不留行には実に様々な異物同名品が存在します。異物同名品とは、基源(原動植鉱物の種類、薬用部位、加工調製方法など)が異なっているにも関わらず同じ名称が付けられている品目です。今回の王不留行の原植物は植物分類の「科」をまたぎ、また薬用部位も様々です。

 王不留行は、日本薬局方には収載されていませんが、中華人民共和国薬典(2015年版)ではナデシコ科のVaccaria segetalis(中国名:麦藍菜、和名:ドウカンソウ)の成熟種子を乾燥したものが規定されています。生薬の形状は球形で直径約2 mm、表面は黒色でやや光沢があります。表面には顆粒状の突起があり質は硬く香りはほとんどありません。異物同名品の中で同じく種子に由来するものとして、マメ科のカスマグサ Vicia tetrasperma、スズメノエンドウ Vicia hirsutaVicia sativaVicia angustifolia などがあります。これらはいずれも黒褐色の種子で、Vaccaria segetalis の種子と類似しています。大型の果実に由来するものとして南方ではクワ科のオオイタビ Ficus pumilaやノボタン科のノボタンMelastoma candidum などが使用されています。また、台湾ではノボタンやミカンソウ科のヒラミカンコノキGlochidion rubrum Blumeその他の木質の茎が使用されてきました。また、全草に由来するものとしてオトギリソウ科のトモエソウ Hypericum ascyronH. sampsoni、アオイ科の Sida rhombifolia などがあります。日本でも以前はオオイタビの果実で縦に2分割され種子が除かれたものが使用されていました。『原色和漢薬図鑑』(難波恒雄、1980)にもオオイタビ由来の生薬の写真が掲載されています。これは、当時多くの生薬が香港から輸入されていたことを示しています。以上のように、王不留行には多種多様の異物同名品がありますが、古来の正品に関しては未だに不明です。

 一方、韓国市場の王不留行はナデシコ科のフシグロの仲間の全草です。牧野富太郎博士は漢名の王不留行にヒメケフシグロ Silene aprica (= Melandrium apricum ) をあてています。中国の本草書を見ると薬用部位に関する最も古い記述は『図経本草』に「5月内採茎」とあり、元は全草生薬であったようです。同書には「葉は尖って小さい匙の頭のようだ。また槐葉に似たものもある。四月に黄、紫色の花を開く(中略)河北に生じるものは葉が円く、花は紅色で、この物と少し違う」と記され、Silene属には赤い花や白い花などがあり、牧野博士は良く似た植物の中からヒメケフシグロと比定されたのでしょうか。

 薬効に関しては、初出の『神農本草経』に「主金瘡止血逐痛出刺除風痺内寒」、『名医別録』に「止心煩鼻衂癰疽悪瘡瘻乳婦人難産」とあり、外傷出血や鼻血の止血、棘、悪性の腫れ物、月経不順、難産などの要薬とされてきました。現在に伝わる処方として王不留行散が知られ、その組成は出典によって大きく異なりますが、王不留行を主薬として5〜11種類の生薬からなり、一般に黒焼きが多く用いられます。黒焼きにするのは止血効果を高めるためと考えられます。王不留行散を日本で作る場合には、ヒメケフシグロは日本では希な植物なので、フシグロSilene firma Siebold et Zucc. の全草で代用されているようです。これも新たな異物同名品ということになります。

 現在中国で使用されているドウカンソウはヨーロッパ原産とされる1年生あるいは2年生の草本植物です。日本には江戸時代に中国から渡来し、江戸の道灌山(どうかんやま)の薬園で栽培されていたことが名称の由来とされることから、当時の中国では既にドウカンソウが使用されていたことが窺えます。茎は直立し高さ30〜60 cm で円柱形、フシグロに似て節はややふくれ、葉は対生して卵状から線状披針形、花は淡紅色で先が浅く裂した5弁花です。薬用部位は種子ですが、薬効的には古来と同様に使用され、問題は無いようです。多くの異物同名品が存在するのは、本草書の記載内容が曖昧なことと同効生薬の探索に試行錯誤した結果であったのでしょうか。

(神農子 記)

 ※弊社「王不留行」はドウカンソウの種子を基源としております。