基源:ヒナコウモリ科(Vespertilionidae)のユビナガコウモリMiniopterus schreibersi Kuhl,ヒナコウモリVespertilio superans Thomas,ウサギコウモリPlecotus auritus L.,又はキクガシラコウモリ科(Rhinolophidae)のキクガシラコウモリRhinolophus ferrumequinum Schreber 等の糞便を乾燥したもの

 音楽の都ウィーンを代表する作曲家,ヨハンシュトラウスⅡ世が作曲したオペレッタといえば,真っ先に「こうもり」が挙げられます.この作品は大晦日から元日にかけての出来事という設定のため,ドイツ語圏で年越しに良く上演されるそうです.今回はそんなコウモリから得られる生薬の話です.

 コウモリは唯一空を飛ぶことができる哺乳類(ムササビなどは滑空のみ)であり,世界中の極地を除く至る場所に分布しています.世界に4000種程度の哺乳類が知られていますが,そのうちのおよそ4分の1をコウモリの仲間(翼手目)が占め,ネズミなどの齧歯類(齧歯目)についで種数の多いグループです.日本では33種が確認されており,移入種を除けば哺乳類全体の約3分の1を占め,最も種数の多いグループを形成しています.このうち21種は環境省作成のレッドデータブックにおいて絶滅危惧種に指定されています.

 食虫性のコウモリは,昆虫やクモなどの節足動物を大量に補食することが分かっています.その量は,一晩に蚊を約500匹とも言われており,蚊食鳥との別名があるくらいです.これら節足動物の外皮は,主にムコ多糖の一種であるキチンで構成されています.コウモリの仲間にはキチンの分解酵素(キチナーゼ)があることが最近明らかになりました.キチンの分解によって得られる単糖やオリゴ糖は高効率でエネルギーへと変換することができるため,コウモリの栄養源となっていることが容易に推察できます.コウモリの糞であるヤミョウシャにもキチンやその分解産物が含有されている可能性が高いと考えられますが,ほとんど研究が行なわれていないため詳しいことはわかりません.一部資料には大量の尿素,尿酸を含むとの記載があり,コウモリの糞を主体とする資材がバットグアノという有機肥料として用いられていたのも頷けます.

 ところで,コウモリの仲間の中には狂犬病の原因となるウイルスを持つものが知られています.狂犬病はラブドウイルス科リッサウイルス属のウイルスに感染し潜伏期間を経た上で発病します.感染した動物に嚙まれ,その唾液と傷口が接触することで感染が起こります.これらのウイルスは乾燥や熱に弱いことが知られており,唾液中でも数時間程度のみ安定だとされています.乾燥などの工程を踏む生薬に加工されたヤミョウシャを介して感染する恐れはまず無いでしょう.

 ヤミョウシャは『神農本草経』の中品に天鼠屎の名で収載されており,また,コウモリ自体も上品に伏翼として収載されています.夜明砂の名は『日華子本草』に初めて認められます.性味は辛,寒で肝に入り,瘀血を発散させ血熱を清解します.そのため,肝熱による目の充血などに用いられるほか,小児疳積,打撲外傷などにも用いられます.また粉末を腋臭止めに用いることもあるそうです.主な処方としては決明夜霊散,明目柏葉丸などが知られていますが,現在日本では市場性はないようです.

 『和漢三才図会』には,夜明砂(やめいしや)の別名として天鼠屎,屎法,石肝,黒砂星などが挙げられており,この天鼠屎の天鼠はコウモリを指すものと考えられています.一方,弓道では,松脂を油で煮た薬練(くすね)を弓の弦に塗って補強して「手ぐすね引く」のですが,この薬練(くすね)には,天鼠や天鼠矢などの表記も認められます.くすねとコウモリとの関連性は不明であり当て字との説もありますが,昔からコウモリが身近な存在であったことをうかがわせます.日本や中国では古くから縁起の良い動物とされており,商標などに散見されます.コウモリの仲間の多くは個体数の減少が危惧されています.多様性を後世まで引き継いでいきたいものです.

 

(神農子 記)