基源:ゴキブリ科(Blattidae)のシナゴキブリ Eupolyphaga sinensis,またはマダラゴキブリ科サツマゴキブリOpisthoplatia orientalisの雌の成虫全体を乾燥したもの.

 シャ虫はゴキブリの仲間に由来する生薬です.「ゴキブリが薬になる」と聞くと驚かれるかもしれません.しかし生薬にされるゴキブリは,私たちが真っ先に思い浮かべる台所のゴキブリと少し異なり,屋外に住む翅(ハネ)のない種類です.シナゴキブリは中国全土に分布している種で,サツマゴキブリはインド,インドネシア,中国大陸,台湾,日本南部(沖縄県,鹿児島県など)を中心に分布している種です.とはいってもやはりゴキブリの仲間ですから生薬になってもためらい感を抱かせるのに充分な外形を有しています.

 シャ虫は『神農本草経』の中品に収載されています.別名を地鼈,土鼈などといいます.陶弘景は「形態が扁平で鼈(スッポン)のようだ.それ故,土鼈と名付ける.甲があり,飛べず,小さなものは臭気のある人家にいる」といい,『新修本草』には「この者は好んで柔らかで塊のない土壌の中や,屋壁下に居るもので,状態は鼠婦(ソフ;ワラジムシ類)に似ているが,大きなものは一寸余あり,形態がやや鼈に似たものである.甲はなく,鱗がある」とあります.これらの記載から,シナゴキブリ,サツマゴキブリを指すことがわかります.ここで,「鼈(スッポン)」,「甲があり,飛べず」または「甲はなく,鱗がある」という記載は実物を見ないと分かりにくい表現です.私たちが一般に思い描くゴキブリは翅のある,飛ぶ種類です.これらはクロゴキブリやワモンゴキブリといった Periplaneta属です.一方,シナゴキブリの雌は扁平で楕円形をしていることから,正にスッポンを小さくしたもの,またワラジムシを大きくした形をしています.翅が退化した背中は「甲」にも見えますし,節に分かれていることから甲虫と比べると「甲はなく,鱗がある」という表現になります.サツマゴキブリは雌雄とも翅が退化しており,形はシナゴキブリの雌のようです.サツマゴキブリは雄(約25mm)より一回り大きい,雌(約33mm)が生薬にされます.

 生薬としてのシャ虫の大量生産は飼育によります.『原色和漢薬百科図鑑』には「深い木箱または素焼きのかめの中に,柔らかい土を敷いて飼育する.飼料は,蔬菜の根,茎,葉,果皮または米,飯,甘藷,桑,ユーカリの葉でもよいが,糠屑か麸が最もよく,3,4日毎に与える.土は乾燥し過ぎない様に,時どき少量の水を噴霧する.しかし虫は多くの排泄をするので,容器の底には穴をあけ,過失にならぬよう注意する.日光の直射を避け,湿度の高い涼しい所に置く.冬季は土が凍らぬよう防寒の処置をしなければならない」と飼育方法が記載されています.天然品のシャ虫についても捕獲方法の記載があり,先の文章に続けて「夏の最も暑い時期に,油屋,麹屋,豆腐屋のかまどの下の,柔らかい土の中や,糠や麸(ふすま)の積もった下,または陰湿な垣根のそばの柔らかい土を小鋤で掘る.夜なら電灯の光で捕らえる.誘殺には麸を炒って食用油を加えたものを用いる」とあります.さらに「捕捉したシャ虫は熱湯で殺した後,日光に晒すか,または塩水で煮た後,日光か風にさらして乾燥する.修治に際しては,泥や砂を除き,日光で乾燥してから炒る.火であぶり過ぎ,焦げたものは良くない.充分乾燥し,体は小さく,よく肥えて紅褐色を呈し,腹中に泥土が少なく,軽くて破砕していないものを佳品とする」と,乾燥法,修治法についても記載されています.

 シャ虫の薬効については『本草綱目』に「産後の血積,負傷時の瘀血を去らしめ,舌下の膿腫,鵝口瘡(ガコウソウ;カンジダ菌感染による口腔内の白斑),小児の腹痛,夜啼(夜泣き)を治す」とあるように,駆瘀血作用があります.現在でも駆瘀血薬として通経目的で使用される他,鎮痛薬として口内炎や乳汁不通にも使用されるようです.

 大黄シャ虫丸という駆瘀血作用の優れた処方があります.構成生薬には大黄,シャ虫の他,虻虫(ボウチュウ;アブの成虫全体を乾燥したもの),蠐螬(セイソウ;チョウセンクロコガネなどの幼虫を乾燥したもの),水蛭(チスイヒルなどを乾燥したもの)などがあります.構成生薬を知らずに服用したほうがよい?と思う処方のひとつでしょうか.

 

(神農子 記)