基源:イネ科(Gramineae)のオオムギ Hordeum vulgare L. の発芽させた穎果(えいか)

 麦芽は大麦を発芽させたものです。高峰譲吉は1890年代にタカヂアスターゼを開発し発売しました。このタカヂアスターゼは主にアミラーゼというデンプンを分解する酵素で構成され,現在も使用されるロングセラー薬品です。高峰博士はコウジカビからアミラーゼを抽出しましたが,植物にも普遍的に存在します。麦芽にはこのアミラーゼが多く含まれ,様々に利用されています。

 麦と名のつく穀物には,ムギTriticum aestivum L.,オオムギHordeum vulgare L.,ライムギSecale cereale L. などがあります。これらはすべてイネ科の植物ですが,すべて異なる属に分類されます。オオムギの化石は地中海東部からペルシャ湾に及ぶ肥沃な三日月地帯で発見されています。野生種は,現在もヨルダンなどに自生しているH. spontaneum C. Kochであり,約1万年前には栽培化されていたと考えられています。オオムギは主に4つの変種に分類され,そのうち押し麦やパンなどに利用されてきたのはロクジョウオオムギ(六条大麦)H. vulgare L. var. hexastichon (L.) Asch.で,焙煎して麦茶にも用いられます。一方,ビールにはでんぷん含量が高くたんぱく質の少ないヤバネオオムギH. vulgare L. var. distichon (L.) Alefeld(二条大麦)から製した麦芽が用いられます。オオムギはコムギに比べ収量が多いのですが,グルテンの含量が低く,ふっくらとしたパンを作るにはコムギやグルテンを加えるといった工夫が必要です。また,硬くてそのままでは食用に向かないため,引き割りや粉砕などの加工を施して使用されてきました。乾煎りして粉砕したものを日本でははったい粉と呼びますが,チベットではこの粉にバター茶などを加えて練ったツァンパが日常的に食べられています。

 オオムギの実(穎果)を収穫後,水に浸して発芽させたものを麦芽といいます。大麦の穎果が吸水すると胚でジベレリンが合成され,アリューロン層の細胞内のアミラーゼを活性化します。このアミラーゼにより,オオムギに含まれるデンプンが麦芽糖(マルトース)等へと変換されます。麦芽のでんぷんを分解する性質を生かし,もち米に麦芽を加え水飴が作られていました。この水飴を乾燥させたものが大建中湯などに配剤されるコウイ(膠飴)です。

 麦芽(モルト)の特徴をうまく利用したのがビールです。ビールは酵素を生かしたベースモルトと色風味付けのためのスペシャリティーモルトの2種類の麦芽を混ぜ,これらを粉砕して50℃程度に保温すると,アミラーゼの作用によりデンプンが分解され麦芽糖などを多く含む麦汁ができます。この麦汁にビール酵母を加え発酵することで,エタノール,すなわちアルコールが作られ,ビールになるのです。ドイツのバイエルン州ではオオムギの他にコムギの麦芽を加え発酵させたビール(ヴァイツェン,ヴァイスビア)が有名です。しかしながら,コムギはオオムギのように硬い殻がなく麦芽を作るときに壊れやすいことや,たんぱく質を多く含むため雑味が増え濁りやすいことなどから,ビールの原材料としてあまり一般的ではないようです。ウイスキーは同様に麦芽を用いて麦汁を作り,酵母による発酵の後,蒸留により作られます。一方,日本酒はコウジカビによって米のでんぷんを分解して醸造されます。

 漢方では,麦芽は脾胃(消化吸収機能)を健やかにし,でんぷん質の消化不良を改善し,肝の緊張を解く薬物とされています。ただ,脾を補益する作用がないため,補益薬のニンジン(人参),オウギ(黄耆),ビャクジュツ(白朮)などと併用することで,より効果的になるとされます。麦芽が処方される代表的な漢方薬である半夏白朮天麻湯には,ニンジン,オウギ,ビャクジュツが共に配剤されており,胃腸が虚弱で胃内停水がある者の頭痛,眩暈,嘔吐などに用いられます。また,乳汁が鬱滞して乳房が張って痛むときは,乾燥した麦芽を煎じて飲むと良いとされます。一方で,食べ過ぎ等による消化不良には,乾燥後炒った麦芽を用います。

 麦芽の効用の発見は偶然の賜物であったことが容易に想像されますが,それにしても古人の観察力やその応用力には見習うべきすばらしさを感じざるを得ません。

 

(神農子 記)