基源:ナデシコ科(Caryophyllaceae)のコハコベ Stellaria media (L.) Villars などの全草

 蘩蔞(読みはハンロウまたはハンル)は、『名医別録』の下品に「味は酸、性は平。無毒。積年の悪瘡が癒えないものをつかさどる。五月五日の日中に採って乾して用いる」と収載されている生薬で、コハコベなどハコベ属Stellaria植物に由来します。

 ハコベ属植物は世界の温帯地域を中心に約120種が分布しています。日本では道端や休耕田の田畑や畔などに、コハコベ、ミドリハコベ、ウシハコベなどが見られ、一般的にはこれらを総称して「ハコベ」と呼んでいます。コハコベは茎は柔らかく地表面をはい、先は斜め上に伸び、春から夏にかけて多数の白い花をつけます。花弁は白色で5枚ですが、深く二つに裂けるため10枚の花弁のように見えます。ミドリハコベはコハコベよりやや大型で全体が緑色をしており、ウシハコベはさらに大型で、花、葉ともに大きく、丈は50cm 以上になります。ハコベはやわらかく、食べてもくせがないことから、野菜として食されたり、日常的にみそ汁の具にされたりします。また、別名をヒヨコグサやスズメグサともいい、鳥の餌としても用いられます。また、春の七草の一つとしても知られています。

 平安時代に深根輔仁によって著された『本草和名』には、「蘩蔞、和名は波久倍良(ハコベラ)」と収載されています。ハコベは日本で古くから食用とされており、また民間的に歯痛の予防や胃腸病などの様々な疾病の治療に用いられてきました。例えば、打撲をした時に、葉と茎を蒸したものを患部に温罨法したり、腫れ物に生の葉と茎のしぼり汁とごま油を混ぜたものを患部につけたりします。また、虫垂炎に葉と茎の汁に塩を加えたものを飲んで著効を得たことが書物に記されています。さらに、胃腸病に対してはしぼり汁あるいは煎じた汁を飲んだり、またそのまま食べたりすると良いとされています。この他に、浮腫には乾燥した葉と茎をスイカの種子やトウモロコシの実を煎じた汁と一緒に飲むと、尿の出がよくなり浮腫を去るとも言われています。

 ハコベの利用法でユニークかつ有名なものに、虫歯予防に使用される「はこべ塩」があります。作り方は簡単で、粗塩をフライパンで炒りながらハコベのしぼり汁を加えて緑色の粉末になるまで炒ればできあがりです。また、ハコベを乾燥させてから細かい粉末にして塩を加えることにより作ることもできます。江戸時代の書物『南総里見八犬伝』の著者として有名な滝澤馬琴は、著書の中で、タニシの殻と塩とハコベ汁を用いて作った歯磨き粉のことを記しています。また、黒い蛤の殻と塩と米を用いた歯磨き粉、青竹と塩を用いて作った歯磨き粉、松の葉と塩を用いたものなどについても記しており、江戸時代にはこれらのものが歯磨きに使用されていたことが伺えます。日本の国土の大半は火山灰土壌であるため土壌から流れ出る水の多くは軟水で、沸騰させずに飲むことができます。しかし、軟水にはカルシウムなどのミネラルが少ないことから、日常的にカルシウムの摂取が少ない日本では近隣諸国に比べて昔から虫歯が多い傾向にあります。口腔内の養生に、身近にあるハコベなどが利用されてきたものと考えられます。

 一方、中国では、ハコベは鵝腸菜と呼ばれ、若菜を野菜として食しています。解毒、利尿の他、乳の出を良くするとされ、妊婦が食べると良いと言われています。この他に、虫垂炎に効き目があるともされています。春に採集し日乾して、必要な時に用いています。また歯がぐらぐらして動くときに、新鮮で柔らかいハコベを良く煮て少量の食塩を入れてかき混ぜたものを噛んで食べると良いとされています。この他に、黒焼きにして細かくすりつぶしたものを歯磨き粉として用いることもあります。

 中国の敦煌にある莫高窟の壁画の一つに、歯をみがいている人が描かれています。古くは塩を使って歯を磨いていたとされています。絵の中の人が塩にハコベを混ぜて使用しているかどうかはわかりませんが、仏教の教えである「歯をみがいて清潔を保つことにより虫歯にならないように予防することが重要である」ということを表わした壁画であるとされています。

(神農子 記)