基源:クロウメモドキ科(Rhamnaceae)のナツメ Zizyphus jujuba Miller var. inermis Rehderの果実

 大棗は『神農本草経』の上品に,「心腹の邪気をつかさどる。中を安んじ,脾を養い,十二経を助け,胃気を平にし,九竅を通じ,気少なきもの,津液少なきもの,身中不足するもの,大驚,四肢重きものを補い,百薬を和す。久しく服すれば身を軽くし,年を長じる」と収載された生薬で,桂枝湯,葛根湯,甘麦大棗湯など多くの処方中に配合されています。

 原植物のナツメは,中国では薬用以上に食用としての需要が高く,果樹として古くから栽培が行われ,現在では400以上もの品種が知られています。中国では,旬の時期には生のものが果物として市場に出回り,また様々な加工品がショッピングセンターなどで一年を通して売られており,お茶請けなどの間食としてとても人気があります。果実をそのまま,あるいは煮たり蒸したりなど火を通してから乾燥加工します。最も一般的な加工品は「蜜棗」で,乾燥した果実を用い,薄い砂糖液で煮て乾燥することを繰り返し,果皮をはいだ後に蜂蜜を加えた濃度の高い砂糖液で再び煮て乾燥して製品とします。また,ナツメは薬膳にもよく用いられ,お粥,お菓子,煮物,スープなど,応用範囲が広い材料です。ナツメが主な食材となる薬膳も多数あり,一例をあげると,大棗と粟のお粥である「大棗粥」は,脾胃虚弱,中風などによいとされ,大棗と木耳のスープ「木耳紅棗湯」は,滋養,補血の作用があり,とくに婦人によいとされます。

 一方,現在の日本では,ナツメやその加工品はあまり出回らず,目にする機会が少ない食材です。日本には,古い時代に中国から渡来しました。平安時代の『本草和名』に「奈都女」と和名が記され,『延喜式』にはナツメを薬用や食用としていたことが載っています。しかし,その後,日本ではナツメは経済的な果樹としての積極的な栽培化は行われず,現在では,庭や畑の隅に観賞用として残っている程度です。ナツメが果樹として日本で発展しなかった理由としては,この植物は乾燥した気候を好み,とくに開花時期の雨は結実を不安定にするので,その時期がちょうど梅雨と重なる日本の気候に適さなかったことなどが考えられます。

 ところで,名前の一部に「ナツメ」が付く「ナツメヤシ」というヤシ科の植物があります。ナツメヤシは,中国語で波斯棗(ペルシャのナツメ)と書き,一方ナツメは英語ではChinese date(中国のナツメヤシ)ともいい,果実の形が互いに似ていることからこのような名前がついたようです。ナツメヤシは紀元前から,アラビアから北アフリカにかけての地域で栽培されており,現在ではエジプト,サウジアラビアなどが主な産地です。果実は「デーツ」といい,生で食べたり,ドライフルーツとしてそのままあるいは料理や菓子に入れて食べたりします。とくにイスラムの世界におけるラマダンの時期には欠かせない食べ物であり,乳製品とともに摂取すると多くの栄養素が補給することができるといいます。ナツメとナツメヤシは植物学的にはまったく異なるもの同士ですが,果実の形以外にも,重要な果樹として栽培の歴史が古いこと,現在でもそれぞれの地域で生活に欠かせない果実であることなど,多くの共通点がみられます。

 日本でドライフルーツといえば,伝統的なものに干し柿があります。しかし,干し柿を含め,他のドライフルーツを中国におけるナツメや中東におけるナツメヤシのように日々の食事やおやつとして頻繁に食べる習慣はありません。中国には「一日吃三棗,一生不顕老(一日にナツメを3個食べれば,いつまでも若く過ごすことができる)」ということわざがあり,とくに女性の健康には良いものとされることから,おやつにナツメを食べている人をよく見かけ,国内線空港でも土産品として売っています。日本の若い女性には貧血の人も多いようです。日本でも,おやつとして,砂糖が入った甘いお菓子の代わりに,ナツメの加工品などドライフルーツがもっと見直されても良さそうに思われます。

 

(神農子 記)