基源:カンラン科(Burseraceae)のBoswellia carterii Birdw.,その他同属植物の樹幹から滲出した樹脂

 乳香は,アラビア半島南部に位置するイエメンのハドラマウト地方とオマーンのドファール地方の他,ソコトラ島,アフリカのエチオピア,ソマリアなどに生育するカンラン科の Boswellia 属植物の樹脂です。紀元前の昔から重要な交易品として,荷を背中に積んだラクダたちのキャラバン隊がアラビア半島南部の産地から地中海沿岸の都市を結ぶ交易路を行き交い,そこは「乳香の道」と呼ばれていました。古代エジプトやローマにおいて,乳香は神殿での祈りなどの宗教儀式に欠かせない焚香料とされていたのです。時の権力者が次々に買い求め,当時は金と同じ価値があったと伝えられています。こうして,乳香は特産地であったアラビア南部に富と繁栄をもたらしました。オマーンには乳香交易による繁栄を今に伝える遺跡が残されており,2000年には「Land of Frankincense(乳香の地)」の名称で世界遺産に登録されました。『新約聖書』の中にも乳香にまつわる話があり,キリストの誕生を祝いにやってきた東方の3人の博士が,黄金,没薬,そして乳香を贈り物としたことが記されています。

 乳香の採取方法については,古く『プリニウスの博物誌』に「一回目の採取は夏の暑さが最も厳しい時期に行われる。とくに樹皮が樹液をはらんで最も薄くなり膨張しているように見えるところに,切り口をつける。すると,ここからねばねばする泡がほとばしり出で,しばらくすると,この泡が濃くなって固まる。それを,ヤシの葉で作ったむしろの上やつき固めた平らな地面の上に集める。木にくっついていたものは鉄の器具で掻き取る。夏にできる乳香は最も純粋で真っ白である。二回目の採取は春に行われ,そのためには冬に樹皮に切り口をつけておく。このときに出てくる樹液は赤みをおびていて,最初のとは比べものにならないほど劣る」と記されており,現地では今日でもほぼ同様の方法で採取が続けられています。現在のアラビアにおいても,人々は乳香を宗教的儀式のみならず,日常的な集いの場で焚き,衣服に焚きしめたりして,その香りを楽しんでいます。また,口臭消しのチューイング・ガムとしても利用しており,乳香を噛むことは虫歯の予防や治療,気管支炎,また腹痛や頭痛にも効果があるとされます。乳香を焚く場合には,香炉の中に炭火を入れ,その上に直接置くと,香りのする白い煙が立ちのぼります。白くて,大きく,砂などの不純物を含まないものが良質品とされています。

 乳香は中国医学では活血,止血,舒筋の効があるとされ,鎮痛,消炎薬として,瘀血による疼痛,打ち身などに応用されます。『図経本草』の「沈香」の条文中に記載があり,「今の人は,乳香を薫陸といっている」と記され,その後『証類本草』では新たに「乳香」の条がもうけられましたが,『本草綱目』では「薫陸香」の条に納められました。古来の乳香については,『和漢薬百科図鑑』には「古来の乳香は,本草書に記されたように薫陸香と同一物であったと考えられ,薫陸香はウルシ科の Pistacia lentiscus L. から得られる樹脂,すなわちマスチック樹脂(洋乳香)と思われる」と記されています。現在の『中華人民共和国薬典』では,「乳香」の基源はカンラン科の Boswellia 属植物の樹脂と規定されており,中国においては乳香の基源が,いつの時代かは不明ですが,変化しています。また,日本における「乳香」の基源は,江戸時代に蘭学者によりマスチック樹脂であるとされて以来,明治時代ごろまではその考えが踏襲されていましたが,現在では中国と同様にBoswellia 属植物の樹脂であるとされています。

 中国や日本において乳香の基源が混乱してきた理由は,本生薬が樹脂を固めたものであるために外形的な特徴が少ないこと,またその故郷がはるか遠くのアラビアの地であったために実体が伝わりにくかったことにあると思われます。

 

(神農子 記)