基源:マムシ Agkistrodon halys Pallas(クサリヘビ科 Viperidae)の内臓を取りだし,皮を剥いで長く伸ばして乾燥したもの

 「ヘビ」という言葉から連想される事柄にはどのようなものがあるでしょうか。その容姿から生理的に嫌いだという人もいれば,毒ヘビを連想して恐ろしい生物であるという人もいることと思います。このように一般的にヘビは人間からは嫌われ,偏見をもたれる傾向にあるようです。しかし医学の世界では洋の東西を問わず,ヘビは神聖なものとして扱われてきました。中国医学において,北方の神である玄武は亀に纏ったヘビです。またギリシャ神話では,ヘビは「病を治す神聖なもの」としてあがめられており,医術の神「アスクレピオス」が持つ杖にもヘビが描かれています。現在,国連の世界保健機構(WHO)の紋章にも地球儀をオリーブの枝葉で下から囲んだ国連の紋章にアスクレピオスの杖と共にヘビが描かれています。

 日本で薬用とされるヘビの種類にマムシがいます。マムシはクサリヘビ科に属し,日本や東アジアの大陸部に分布しています。主に草地,耕作地,岩の多い丘陵の斜面などに生息し,カエルやネズミの他,鳥類や魚類などを含めた小型動物を広い範囲で捕食します。一方で,猛禽類やカラスなどの鳥類やイノシシなどに捕食されます。

 マムシは日本で一般的な毒蛇として知られ,しばしば人間が咬まれる事故が発生します。特に妊娠しているメスは夏季に胎児の発育を促進するために日光浴に出てくる習性があり,この時期に人間と遭遇する機会が増えます。マムシの毒は血液毒で,血管組織,内臓などにも作用して局所的に出血や腫脹を生じ,多くの場合激痛を伴います。次第に腫れと痛みは全身に広がり,急性腎不全を起こして死亡することがあるので,咬まれた場合にはなるべく早いうちに血清による治療が必要です。

 日本では薬用にマムシが反鼻の名で用いられています。反鼻は,『名医別録』の下品に「蝮蛇(ふくだ)」の原名で,その膽(胆)と肉が収載されています。『新修本草』,『本草拾遺』などには,原動物の特徴として「鼻がそり返っている」ことが書かれており,このことから「反鼻」と名付けられたと『和漢薬百科図鑑』に記されています。このものはクサリヘビ科のハブ属のヘビであると考えられ,マムシは日本での代用品です。薬能については,『名医別録』に「蝮蛇肉は酒に醸して用いれば,癩疾,諸瘻,心腹痛を療じ,結気を下し,蟲毒を除く」とあり,『薬性論』には「五痔,腸風瀉血を治す」とあります。また『本草拾遺』には,「大風,諸悪風,悪瘡,瘰癧,皮膚の頑痺,半身枯死,皮膚手足臓腑間の重疾をつかさどる処方」として,「蝮蛇1匹を生きたまま器に入れ,度数の高い酒1斗を注ぎ,馬が排尿する場所に埋める。1年後に取り出すと,酒の味は残っているが蛇は溶けている。1升ほども服用せぬうちに,体が軽くなる」と,蝮蛇酒の製法が記されています。また『本草綱目』には,「蝮蛇」として収載され,別名「反鼻蛇」とあり,膽,肉の他に,脂,皮,ぬけがら,骨,糞,体内で死亡した鼠などを薬用とすることが記されています。脂は聴力障害に綿で包んで耳に詰めたり,腫毒に塗布したりし,皮は灰にして疔腫,悪瘡,骨疽を療じ,ぬけがらは身体のかゆみ,疥癬などに用い,骨は焼いて黒い粉末にして赤痢に用いるとあります。

 日本では,反鼻の黒焼きを配合した有名な処方「伯州散」があります。反鼻,津蟹,鹿角を別々に黒焼きにし,細末にしたものを等量混和したもので,慢性の化膿性のはれもの,切り傷などに内服されます。また,民間的にはマムシの全ての部位が利用されています。強壮,興奮薬として疲労時や冷え症などに粉末または黒焼きを内服したり,焼いて食べたり,マムシを漬け込んだ「マムシ酒」を飲んだりします。マムシ酒は内服だけでなく,扁桃腺炎,打身,切り傷,神経痛,歯痛などに外用したりします。胆を乾したものは疲労,腹痛,眼病などに内服し,皮を乾したものは打身や神経痛,また膿の吸出しとして患部に貼ります。また骨を乾したものを煎じて解熱薬とします。

 このように,一般には嫌われがちなヘビですが,古今東西,薬用として様々に用いられてきました。古来神聖視されてきたことと無関係ではないように思われます。

(神農子 記)