基源:コムギ Triticum aestivum L.(イネ科 Gramineae)の果実

 コムギは,世界で最も生産量が多い穀物で,コメ,トウモロコシとともに世界三大穀物といわれています。世界の多くの地域で人々の主食とされ,日本においても,パン,うどん,ラーメン,お好み焼き,お菓子類など,コムギは食生活に欠かせないものになっています。また,日本の伝統的な調味料である醤油や味噌の醸造原料にもなります。

 コムギ属 Triticum 植物は,1万〜1万5000年前から人類に作物として利用されています。コムギ T. aestivumは長い栽培化の歴史の中で,人為的に選択,育成された栽培種で,栽培の方法により秋まき性品種(冬コムギ)と春まき性品種(春コムギ)とに大きく分かれます。秋まき性品種は秋に種をまき,苗の状態で越冬し,春に穂を出し,初夏に実る品種です。この性質は,秋にヤマノイモの根元にコムギをまき,冬にコムギの苗を目印にして「山薬」を採取するのにも使われます。春まき性品種は,春に種をまき,夏までに穂を出し結実する品種です。いずれの品種も収穫した果実を粉砕後,ふるい分けして,コムギ粉と胚芽,ふすまに分けて利用します。パスタには,マカロニコムギ T. durum Desf. から製した粉が用いられます。

 コムギの果実は,「小麦(しょうばく)」という生薬にもなり,『名医別録』の中品に「味甘,微寒,無毒。熱を除き,燥渇,咽乾を止め,小便を利し,肝気を養い,漏血,唾血を止める」と収載され,『金匱要略』出典の「甘麦大棗湯」に,甘草,大棗とともに配合されます。「小麦」について,『図経本草』では「小麦は,秋種をまいて冬長じ,春秀でて夏実る。四時中和の気を具えるものだ。故に五穀中の貴重なものとなっている。暖かい土地では,春まいて夏に収穫することも可能であるが,秋まいたものに比べれば四気が不足なので毒がある」と,秋にまく「冬コムギ」と春にまく「春コムギ」では性質が異なることが記され,また『新修本草』には「小麦で湯を作るには皮が裂けるようにしてはならぬ。裂ければ性が温になって消熱,止煩の効力がなくなる」と煎じる際の注意事項もみられます。李時珍は「小麦」について,『本草綱目』の「発明」の項で「煩を除き,渇を止め,汗を収め,溲を利し,血を止めるは皆心の病に関するもの」であると述べ,また「主治」の項では「陳(ふる)いものを湯に煎じて飲めば虚汗を止める。焼いて性を存し,油で調えて諸瘡,湯火傷灼に塗る」と記しています。

 『本草綱目』の「小麦」の条には,「小麦」以外に,「浮麦(一般的には,浮小麦(ふしょうばく)という。水中に投じたときに浮いてくる未成熟な果実)」,「麦麩(ふすま)」,「麪(コムギ粉)」,「麦粉(コムギデンプン)」,「麪筋(ふ)」,「麦麨(むぎこがし)」,「麦苗(苗)」,「麦奴(黒い黴が生えたコムギ)」,「稈(茎,わら)」が記されています。「麪(コムギ粉)」については,『本草綱目』では,「温。熱を消すこと,煩を止めることはできない」と『名医別録』を引用するとともに,「微毒がある」と付け加えられ,李時珍はこの毒を解するには「漢椒,蘿蔔を食べればよい」と意見を述べています。この李時珍の意見は,日本の江戸時代の『本朝食鑑』にも受け継がれており,同書中には「饂飩(うどん)」について,「多量に食べれば気がふさぎ,痰が塞がり,熱を生じ,積を動かす。このときは,麦芽・山査・蘿蔔汁の類を使って,温毒をよく消すべきである」と記されています。また「麦粉(コムギデンプン)」については,『本草綱目』では「附方」の項に「烏龍膏」という処方があり,「一切の背中の癰腫,無名の腫毒,熱をもった腫物に対して効あること神の如きものだ」と記されています。

 日本の民間では,尿が出にくいときに小麦を煎じて飲む,しゃっくりに小麦の粉末を飲む,床ずれの予防に浮小麦を敷く,切り傷の痛みにわらの黒焼きをごま油で練ってつけるなどの方法が知られており,またわらの灰汁やふすまは体や衣類を洗うのに用いていたようです。コムギの製粉過程で廃棄されるふすまや未成熟な果実などを上手に利用するアイデアは,ものを大切にする習慣に加え,手間隙をかけて育てたコムギを人々が愛おしく思う気持ちから生まれたのでしょう。

(神農子 記)