基源:Notopterygium incisum Ting ex H.T.ChangおよびN.forbesii Boissieu(セリ科Umbelliferae)の根茎および根。

 「羌活」は2007年の日本薬局方の改正に伴い新収載された生薬です。原植物としてセリ科のNotopterygium incisumおよびN.forbesiiの2種が規定され,これらは『中華人民共和国薬典』で規定されているものと同じです。一方,中国では羌活として地方的に同じセリ科のPleurospermum属,Angelica属など,他の異なる植物が用いられているほか,同類生薬の「独活」の原植物として多数のセリ科やウコギ科植物が報告されています。これまでに独活と羌活は同一物であるとする説がありますが,一方で漢方処方には独活を配合する処方,羌活を配合する処方,また独活と羌活の両方を配合する処方などがあり,同一とは考えがたい事実もあります。古来それぞれの正品が何であったかはこれまで不明でした。

 最近になって,御影らによって,本草考証学的,植物形態学的,植物地理学的観点から羌活と独活の原植物や産地が検討され,羌活と独活の関係が明らかにされました。その内容(薬史学雑誌:第42巻第1号(2007))を簡単にご紹介します。

 「羌活」の文字が最初に本草書に見られるのは『神農本草経』で,独活の一名として記載されました。すなわち,漢代には羌活と独活は同じ薬物であった訳です。その独活の産地として『名医別録』では「雍州川谷或朧西南安」(陝西・甘粛省および青海額済納の地一帯)とあり,『本草経集注』では「此州郡縣並是羌活(文脈からこの「活」は「地」の誤りか)羌活形細而多節軟潤気息極猛烈出益州北部西川為独活色微白形大」と記載され,産地は雍州川谷或朧西南安(羌地)と益州北部西川の2ヵ所があり,前者の地すなわち羌地に産するものを羌活,後者の地に産するものが独活と称されたことが窺えます。また,『新修本草』では「療風宜用独活兼水宜用羌活」と薬効による使い分けが記載されており,唐代には両者が独立した生薬として認識されていたことがうかがえます。

 宋代の『図経本草』には,「文州独活」「文州羌活」「茂州独活」「鳳翔府独活」「寧化軍羌活」の5種の図が附されていますが,正品独活は宋代にはすでに羌活に名を変えていたことから,これらのうち「羌活」の名がつく文州羌活と寧化軍羌活が正品独活であったことになります。実際,文州は現在の甘粛省南東部に位置し,独活の最初の産地である「羌地」にあたり,寧化軍は山西省北部に位置し,羌地に近い土地です。なお,同地産の羌活と区別されている「文州独活」については付図の様子からウコギ科のウドのようだと考察されています。また『図経本草』には,羌活は「紫色而節密者」,独活は「黄色而作塊者」との区別点が記載され,この生薬の外形による区別方法は現在にまで至っています。

 羌活が『神農本草経』中で独活の一名とされた背景には産地との関連があり,古来,独活は羌地に産するものが正品で,それ以外の地に原植物が異なる独活が生じたため,正品独活を「羌独活」と呼ぶようになり,訛って「羌活」になったようです。つまり羌活は古来の正品独活であったと考証されました。

 羌活の原植物については,『図経本草』中の「葉如青麻」から形態的にNotopterygium属植物が該当し,「六月開花,或黄或紫」の記事からNotopterygium incisumN.forbesiiHeracleum tiliifoliumAngelica decursivaA.gigasなど,『醫林纂要探源』にある「傍枝毎三葉」の記事からN.forbesiiA.pubescens f. biserrataが,『植物名実図考』の「茎紫白色」からN.incisumN.forbesii,ならびにAngelica属が該当し,植物地理学的な考察をも加えて,羌活(古来の正品独活)の原植物は,現在日・中の薬局方に収載されているNotopterygium incisumおよびN.forbesiiであると結論されました。今後,独活の原植物についても明らかにし,両者を適切に使い分けることが必要であるとまとめられています。

(神農子 記)