基源:ミロバランノキTerminalia chebula Retzius (シクンシ科 Combretaceae) の成熟果実

 訶子は『新修本草』に「訶梨勒」の名で収載され,「味苦,温,無毒.冷気,心腹脹満を治し,食を下す」とあります.古来,消化不良,不消化のために大便が渋るとき,また小児の霍乱などに単味で用いられ,甘草、木香、陳橘皮や厚朴などとともに配合して赤白下痢,気疾水瀉などに用いられてきました.現代中医学では収渋薬に分類され,渋腸止瀉や斂肺下気開音薬として「訶子散」,「訶子湯」,「響声破笛丸」などに配合されます。原植物であるTerminalia chebula はインドをはじめとする熱帯,亜熱帯アジア原産で,ミャンマー,マレーシア,スリランカ,タイ,中国(雲南,広西,広東)などに生育する植物です.

 訶子は唐の時代に盛んになった西域との交易によって中国へもたらされた薬物です。『新修本草』には,交州や愛州(今のベトナム北部のハノイ付近)に生ずることが記載されています。当時のベトナムからは象牙,真珠,白檀,熱帯の果物,金銀細工などが中国へ貢物として送られていたようですが,『新修本草』の記載は,訶子がその貢物の中にあったことを示しているのでしょうか.

 宋代になると『図経本草』に,ベトナム北部に加えて中国嶺南地方(広西,広東省)にも訶子があり,とりわけ広州に多く,「6,7月に果実が熟したときに採集し,6稜のものがよい」と記され,『嶺南異物志』を引用して,州の貢物にされるのは法性寺のものだけであり,それは「極めて小さく,味は渋くなく,皆6稜である」と良質品の形態が述べられています.

 同時代に雷公は,「毘梨勒,罨梨勒,榔精勒,雑路勒を用いてはいけない.訶梨勒は6稜あるもので,稜の数が多くても少なくてもそれらは雑路勒であり,8稜〜12稜のものは榔精勒と称し,渋くて薬用にはできない」としています.果実に稜があるのはシクンシ科植物の特徴のひとつで,稜の数で類似物を区別していたようです。『新修本草』でも「ペルシャからもたらされたものは6稜で黒色,肉厚でよい」と記載され,一色直太郎氏は「6,7條の稜線のある使君子に似たもので,皮殻の黒い内部の実の多い,味の渋いものがよい」としています.しかし,植物学的には,T. chebulaの果実は広卵形で5〜6稜,T. belliricaでは洋ナシ形で表面に毛があり5稜で,必ずしも稜の数で区別することが適切であるとは思われません。

 一方,類似生薬の中から毘(臍)があるものは「毘梨勒」の名で別生薬として掲載されてきました.「毘梨勒」は「苦,寒」で「風虚熱気」に用いられ,「訶梨勒」とは性味,薬効が異なり,現在ではその原植物は T. bellirica (Gaertn.) Roxb. (= T. bellerica Roxb.)とされます.

 訶梨勒や毘梨勒,すなわちT. chebulaT. bellirica の果実はもともとアーユルヴェーダ薬物で,この2種にトウダイグサ科のPhyllanthus emblica の果実(中国名:庵摩勒)を加えて「アーユルヴェーダ三果」と呼ばれるほど有名な生薬です。T. chebulaの果皮はよい下剤とされ,T. bellirica の果皮は幅広く様々な疾患に用いられます.また両者はともに水腫,痔疾,下痢,ハンセン氏病,熱病などに対する処方に配合される点で共通しており,古来どちらも重要な生薬とされてきました.中国へもたらされたのも当然のことだったのでしょう。なお,現行の『中華人民共和国薬典』ではT. chebula およびT. chebula var. tomentella の成熟果実を「訶子」とし,その効能は渋腸斂肺,降火利咽とされ,T. bellirica の成熟果実は「毛訶子」の名で,清熱解毒,収斂養血,調和諸薬として収載されています.

 近年,瀉下薬としてはもっぱら「大黄」が有名で「訶子」は馴染みが薄いのですが,大黄の性味は「苦・寒」で自ずと服用できる体質が限られることから,今後は訶子に新たな下剤としての利用が期待できそうです.

(神農子 記)