基源:ヒキオコシRabdosia japonica Hara (= Isodon japonicus Hara,Plectranthus japonicus Koidzumi)又はクロバナヒキオコシRabdosia trichocarpa Hara(= Isodon trichocarpus Maximowicz,Plectranthus trichocarpus Maximowicz) (シソ科Labiatae) の地上部。

 薬物に関する伝説に登場するのは,中国では「神農」と「薬王」,わが国では「弘法大使」と,相場が決まっているようです。

 「延命草」は,わが国の民間薬として有名で,古来健胃薬として消化不良や食欲不振,腹痛等に使用されてきました。原植物のヒキオコシは山野に生える多年草で,成長がよければ高さ1mに達します。「延命草」また「ヒキオコシ」の名前の由来は,倒れて今にも死にそうな旅人を,弘法大使がこの草を飲ませて起き上がらせ,元気に旅を続けさせることができたことに由来すると伝えられています。弘法大使,すなわち空海は平安初期の僧で,「弘法大師」の諡号を賜ったのは彼の入滅後86年経った921年のことです。弘法大師が伝授したということが事実であれば,わが国の多くの民間薬の始まりが江戸時代であったことを考えると,わが国の民間薬の中では格が異なる薬物であるようです。

 一方,わが国における薬物療法は,中国に強く影響を受けていることが知られています。空海は804年遣唐使として唐に渡り,仏教を学んで帰国していることなどを考え合わせると,ヒキオコシの薬用も空海が中国から学んで帰った療法である可能性が考えられます。昨今の書物を調べてみますと,中国の東北地方に分布するIsodon glaucocalyx Kudoの全草が健胃整腸を目的に食欲不振や消化不良に服用され,また寧夏回族自治区では同植物を健胃のほかに清熱解毒や活血をも期待して,胃炎,肝炎,感冒発熱,無月経,打撲傷,乳腺炎,関節痛などに煎液が服用されているとあります。このことだけで,即結論は出ませんが,わが国の民間療法の起源を考察する上で興味深いことといえます。

 健胃薬には苦味を有するものが多く知られています。苦味健胃薬の代表格はゲンチアナとセンブリでしょうか。延命草は,かつてゲンチアナの輸入が途絶えた第二次世界大戦中に,それらの代用品として昭和19年に『第五改正日本薬局方』に追加収載されました。しかし,吸湿性やアルカリ剤との配合による苦味の減少などから,製剤には不適とされ,『第六改正日本薬局方』からは削除され,今日では『日本薬局方外生薬規格』で規定されています。

 苦味健胃薬とされるものは多数ありますが,中でもヒキオコシの葉は非常に苦く,その苦さが後に残るのが特徴的です。ヒキオコシは山地の林縁などでよく見かける植物で,多数の小さな白色唇形花を咲かせ,ヤマハッカなどよく似た植物が多くありますが,他種とは苦みがあることで容易に区別できます。またクロバナヒキオコシは花が黒紫色です。

 近年,ヒキオコシの苦味の主成分とされるエンメインに血行促進や頭皮殺菌効果のあることが報告され,育毛剤としての有用性も取りざたされています。さらに,一般にシソ科植物は香りの元である精油を多く含み,それら精油の中には抗菌,鎮痛,鎮静,精神疲労の回復,新陳代謝を活発にするなど,多様な作用のあるものが知られています。延命草は現在ではそれほど需要の多い生薬ではありませんが,まだまだ多くの薬効が隠されているのかも知れません。

(神農子 記)