基源:ハマスゲ Cyperus rotundus L.(イネ科 Gramineae)の根茎。

 ハマスゲはその名が示すように、浜辺の砂地に多い単子葉植物ですが、内陸部にも普通に生えています。地下茎を伸ばして増え、その先が小さく塊状に肥大します。これが生薬「香附子」の薬用部位です。カヤツリグサの仲間には地上部がよく似た植物が多いのですが、塊茎を作るのはわが国ではこのハマスゲだけで、根を掘れば容易に判断することができます。塊茎には、生薬名のごとく、良い香りがあります。

 「香附子」は本草書では『名医別録』に「沙草」の古名で初収録されましたが、その薬用はさらに古く、「雀頭香」とも呼ばれていたようです。雀頭香の名称は今では使用されませんが、楕円体でボソボソと毛が生えた本生薬の形態をよく言い表していると古人の感性に関心させられます。

 李時珍は『本草綱目』の中で、「香附子」の項目の附方に48方を記載しました。この数は同じ巻に収載されている当帰が27方、川蟥が19方であるのに比べてかなり多いと言えます。附方の内容を実際に見てみますと、気に関する方と血(婦人病)の方が同じくらいに多く、次いで止痛の方がよく見られます。また、歯や耳の病に関するものもあって、幅広い薬効で使用されていたことがわかります。現在の中医学でも行気薬(理気薬)に分類され、理気解鬱、調経止痛を目的に用いられています。各器官の気の滞りが病気の大きな原因のひとつであるとすれば、気分をめぐらす香附子はとても優れた生薬のひとつであると言えます。李時珍は、香附子は十二経八脈の気分に行ると記しています。

 このように幅広く使用された理由として、ハマスゲはどこでも手に入り、資源的にも豊富で、利用しやすかったことが考えられます。一方、香附子はアーユルヴェーダ(インド医学)でも重要な薬物で、芳香があることから仏教との関連も考えられ、インドからの影響も考えられます。実際、『和剤局方』には「常に服すれば胃を開き、痰を消し、壅を散じ、食思を進める。朝早く旅立つ時、登山の際には就中これを服するがよい。邪を去り、瘴を避ける」とあり、それらしき内容がうかがえます。

 また、ハマスゲは花期の地上部をも薬用とし、李時珍は「煎じて飲むと、気欝を散じ、胸膈を利し、痰熱を降ろす」と記しています。また、『天寶単方図』を引用し、「男子の心、肺中の虚風及び客熱で(中略)皮膚がかゆくなり、細かい吹き出物ができ、食事の量が少なくなって日に日に痩せこけ、常に憂愁心があり、小心などの証を表すときには、ハマスゲの花期の地上部20余斤を採集し、細かく刻んで、水2石5斗で煮て1石5斗とし、それに浴して汗を5〜6度出させるとかゆみはすぐに止まる。常用していると細かい吹き出物も治ってしまう」としています。『名医別録』には「沙草」の原名で収載され、薬用部については特定されていませんが、古来地上部をも利用してきたため「沙草」の名で収載されたものと思われます。

 昨今のわが国では香蘇散、香砂六君子湯などの処方に配合して利用されますが、漢方生薬としてはどちらかと言えば需要の少ない部類に入ります。李時珍の意気込みからしても、もう少し利用されてもよさそうな生薬であると言えましょう。

(神農子 記)