基源:アミガサユリ Fritillaria thunbergii Miq.(ユリ科 Liliaceae)の鱗茎

 現在わが国では,「母貝」の原植物として『日本薬局方外生薬規格』にアミガサユリが収載されていますが,中国においてはその他20数種の同属植物が生薬貝母の原植物に当てられ,ユリ科以外の原植物もあり,その基源はずいぶんと混乱してきたようです。

 現在市場には「川母貝」「浙母貝」「平貝母」「炉貝母」「青貝母」など,多種類にわたる貝母が出回り,それぞれ少しずつ形態を異にし,原植物は同属ではあっても明らかに種は異なるようです。生薬名「貝母」は大小2つの鱗茎が抱き合った姿が子安貝(タカラガイ科の巻き貝)に似て,母が子を抱くように見えることに基づいているとされることから,これらは異物同名品とは言え,形から見るかぎりは貝母として通用するように思われます。

 一方,一色直太郎氏は「こやす貝に似た,外面の白い,裏面の黄褐色を呈して居る小さいものがよろしい。大なるものや賦臭のあるもの及び軽いものはいけませぬ」と,小型のものが良品であると記しています。また江戸時代,遠藤元理の『本草辨疑』にも「薬肆には小さいものを上とし,大きいものを下として売っている」と記され,古くから小型の商品が良品であるとされ,これは現在にまで引き継がれています。ところが,現在わが国で一般に使用されているアミガサユリ由来の鱗茎は,Fritillaria 属の中では特別大きなもので,一目瞭然に多種とは区別できるもので,古来の習慣からすると劣品であるということになります。他の同属植物に由来するものはかなり小型で,故に一色や遠藤が記載した「小型のもの」の原植物を特定することは困難ですが,「大型のもの」は明らかにアミガサユリであると考えられ,これが現在市場で「浙貝母」の名で流通しているものです。

 では,中国では古来小型の鱗茎を有する Fritillaria 属植物を貝母として利用してきたのかというと,それもはっきりとしません。というのは,宋代の『図経本草』に記載された3種の「貝母」のうち,最初に掲げられた図は明らかに蔓性のまったく別植物だからです。本文中に「葉は蕎麦に似る」とあることからも Fritillaria 属ではなさそうです。あとの2種類の図はともに Fritillaria 属植物と思われることから,宋代に一時的に全く原植物の異なる異物同名品が存在したことも考えられますが,より古い文献を調査しますとそうでもなさそうなのです。すなわち,春秋時代の『詩経』に「葉は括 のようで細く小さい」とあります。これが如何なる植物であるかを特定することは難しいようですが,ユリ科以外の貝母として現在使用されているものに「土貝母」と称されるウリ科の Bolbostemma paniculatum に由来するものがあり,蔓性で葉は括 の原植物にそっくりで,また蕎麦の葉にも似ていると言えます。仮にこのものが貝母の古代の正品であるとすると,昨今のユリ科のものはすべて偽物ということになってしまいます。ただし,土母貝の「土」の字には「質の悪い」とか「地方的な」という意味もあり,「土貝母」を正品とするにも問題があるようです。

 これを性味の面から考えてみますと,貝母は『神農本草経』では「味辛平」,『名医別録』では「苦微寒」,『新修本草』では「甘苦で辛ではない」と違った記載があり,このことは貝母の基源が古くから混乱していたことを示しているようです。現在最も良品とされています「川母貝」の性味は「苦甘微寒」とされ,また「浙母貝」と「土貝母」はともに「苦寒」または「大苦寒」とされています。それぞれ僅かに性味を異にし,薬効的には咳嗽に用いる場合には一般に「川母貝」は「虚寒咳嗽」すなわち虚証の患者に,「浙貝母」は「風火痰嗽」すなわち表邪実証の患者によいとされていますが,「土貝母」を含めていずれの生薬もるいれきや腫物の初期に用いる点では共通しており,古来の正品を決めるのは困難なようです。

 貝母は有名な生薬ですが,こうした基礎的研究の浅さを痛感せざるをえません。アミガサユリを使用することで問題が無かったからなのかも知れませんが,希用生薬であることが理由で研究が遅れているのであれば残念なことです。川貝母は浙貝母に比べると随分と高価なものです。生薬の流通には多分に習慣に依っている部分がありますが,それが単に価格の問題だけであるとすれば,やはり問題でしょう。薬理や臨床研究をも含めた総合的な研究が期待されます。

(神農子 記)