基源:アサ Cannabis sativa L.(アサ科 Cannabiaceae)の乾燥果実。

 麻(アサ)は『神農本草経』の上品に「麻賁」と「麻子」の両名で収載されています。この「麻賁」の基源については古来諸説があって,定説がありません。すなわち,雄花であるとする説,麻の実であるとする説などです。しかし,「麻賁」については『神農本草経』に「味辛平−−−多食令人見鬼狂走−−−」とあり,また『名医別録』に「有毒−−−7月7日採良」とあり,一方「麻子」については『神農本草経』に「味甘平主補中益気肥健不老」,『名医別録』に「無毒−−−9月採」とあることから,「麻賁」と「麻子」はかなり異なるものであることが理解できます。ゆえに,「麻賁」が麻の実であるとする説は受け入れがたく,「麻子」こそが麻の実であり,「麻賁」は薬効からして若い雌花すなわち今の「大麻」であると考えるのが妥当なようです。それぞれの採集時期も適合します。

 アサ科は Cannabis属とビールの苦味となるホップが属する Humulus属の2属3種からなるごく小さな科です。これらの植物は,以前はクワ科(Moraceae)に所属させられていましたが,乳管がなく,托葉は相互に合着せず,種子に胚乳があることなどから,昨今はアサ科として独立させる意見が一般的となっています。

 アサは古くから衣料用繊維として有名ですが,果実は五穀の一つに数えられ,古来繊維のみならず,果実も食用また薬用にと多く利用されてきました。

 麻子仁が主薬として配合される「麻子仁丸」(胃熱による腸燥便秘や習慣性便秘に用いられる)や「潤腸湯」(老人,虚弱者,産後などの血虚や津枯による腸燥便に用いられる)がともに下剤であることから,薬用としての麻子仁は下剤であることが理解できますが,食用としても重要であったことからは,強い下剤であるとは到底考えられません。

 中医学における下剤は大きく3種類,すなわち攻下薬,峻下逐水薬,潤下薬に分けられます。攻下薬には「大黄」や「芒硝」のような強い下剤が入ります。峻下逐水薬には「大戟」「牽牛子」「巴豆」などのかなり激しい下痢を引き起こす薬物が入り,潤下薬に「郁李仁」や「蜂蜜」とともに「麻子仁」が入ります。蜂蜜と同等であることからは,麻子仁は下剤と言うよりも,腸を潤すことによって自然に通じをつける薬物と理解するのが適切なのでしょう。

 このように,滋養補虚の効能を備えた麻子仁は,蜂蜜と並んで,老人,虚弱者,産婦が使用できる少ない瀉下薬のひとつです。ただし,わずかながら果実にも大麻に含まれるカンナビノールが含まれるのでしょうか,使用量を誤ると中毒を起こすことを警告する報告もありますので,注意が必要です。

 ところで,生薬「麻子仁」は読んで字のごとく「麻の実の仁」すなわち殻の中身のみです。麻子の殻を破って中から仁のみを取り出すのは容易ではありません。麻子仁は重量的に殻と仁が約4:6の割合です。麻子仁として殻付きを利用すれば実際の薬量は6割しかないということになります。市販品に仁のみ,あるいはその脂成分のみがあれば,麻子仁丸を作るときにどれだけ便利であるかと思っておられる方も少なくないと思われます。しかし,麻子仁の脂成分は乾性油で,空気中に放置すると容易に酸化されて黄褐色固形物に変質してしまうので,使用時に必要量だけ脱殻するのが望ましいのです。

 麻の実は昨今は苧実(オノミ)と称して,七味唐辛子に調合されています。そのいきさつは筆者の不勉強で定かではありませんが,腸を潤す麻子仁を,薬物としてのみならず,暮らしの中にもっと上手に取り入れる術があるようにも思われます。腸内をきれいにする必要性が叫ばれている今日,鳥の餌にのみ利用しているのではもったいないような気がしないでもありません。

(神農子 記)