基源:ゲンノショウコ Geranium thubergii Siebold et Zuccarini (フウロソウ科 Geraniaceae)の地上部

 ゲンノショウコは日本を代表する民間薬と言えます.ご承知のようにゲンノショウコは下痢止めの薬です.どんな下痢であっても服用するとたちどころに効果を現すところから「現の証拠」と言われるようになりました.民間薬として全国で利用されていますが、地方によってタチマチグサ、テキメンソウ、イシャイラズ、イシャダオシなど様々な呼び方があり、これらの名前はすべて薬効に結びついたものです.

 花は、西日本に多い赤花と東日本に多い白花があり,二つとも同じ種なのですが、薬用には白花が好まれています.土用から真夏にかけて採取し、泥を洗い落した後陰干しして調製します.徳島、鳥取、長崎、長野などの各県で栽培及び野生品を産出し、また韓国、中国からも輸入されますが、中には同属の別種もあり、葉が互生して葉身が深裂するものは性状の項に適さないので輸入時注意せねばなりません.また、しろうとが野生品を採集する際には,花の付いているものでないとキンポウゲ科植物の幼苗と間違えやすいので注意が必要です.

 ゲンノショウコのタンニン含量は、葉に約 20%、全草に約 5%含み、葉中のタンニン含量は12〜2月が最も少なく、その後6月にかけて徐々に増加し、6〜8月が最も多くなります.タンニンには収斂作用のあるものが多く、ゲンノショウコが下痢に用いられ、また採集が土用から真夏にかけて行われるというのも納得いくことです.

 薬草ゲンノショウコの起源は定かではありません.わが国最古の本草書である『本草和名』( 918 年)に「牛扁,蘇敬注云治牛病故名牛扁,一名扁特,一名扁毒,已上二名出蘇敬注.和名太知末知久佐」と、「牛扁」に「タチマチクサ」の名が充てられていますが、一般にこれがゲンノショウコの起源とされています。しかし、「牛扁」は、『神農本草経』下品収載品で、牛の虱退治や牛の病気の治療に用いられていたものです.また、『証類本草』の付図から、「牛扁」は Aconitum 属植物または Ranunculus 属植物と考えられています.この「牛扁」にいつ「ゲンノショウコ」が充てられたかというと、貝原益軒の『大和本草』( 1708 年)に「牛扁レンゲ草ト云.山野近道處々ニ多ク繁生ス.藻*草ニタチマチ草ト訓ス.又俗ニゲンノセウコトモ云.葉ハ毛艮及キジン草ニ似テ花ノ形ハ梅花ノ如.六七月ニ紅紫花ヲ開ク.葉茎花トモニ陰干ニシテ末ト為湯ニテ服ス.能痢ヲ治ス.赤痢ニ尤可也.又煎湯ト為或細末シテ丸ス.皆験アリ.本草ニハ此功能ヲノセス.本草毒草類ニノセタリ.然レ共毒無ト曰.一度栽レハ繁盛シ除キ難」と記載されています.また、松岡玄達の『用薬須知』( 1712 年)には、「牛扁即チ地錦.和名ホツケソウ.一名レンゲソウト云フ.此ノ物味噌汁ニテ食ヘハ痢ヲ治スルコト妙ナリ.故ニ現ノ証拠ト名ズク」という記載も見られます.しかし、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』( 1803年 )には、「古ヨリ牛扁ヲゲンノシャウコニ充ツルハ非ナリ---是救荒本草ノ*牛兒一名闘牛兒ノ一種ナリ」と「牛扁」が「ゲンノショウコ」ではないことを指摘し、『救荒本草』の「*牛兒苗」の類がゲンノショウコであると述べています.

 貝原益軒が、「牛扁」に「ゲンノショウコ」を充てたのは誤りのように思われますが、『用薬須知』の記載内容も明らかに「ゲンノショウコ」で、つまり1700年頃には、「ゲンノショウコ」が一般市民に止瀉薬として親しまれていたということが窺われます.

 また『牧野植物図鑑』によると、「*牛兒苗」にゲンノショウコを充てるのは誤りで、これは、漢薬「老鶴草」の正常品である「長嘴鶴草」の原植物のキクバフウロウ Erodium stephanianum Willd. で日本には自生しないことがあげられています.とすると、ゲンノショウコは日本独自の民間薬ということになるのでしょうか.

 葉部が多く、開花した花の少ない緑色を帯びたものが良品とされます.

(神農子 記)